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【お盆の怪談】ようやく出会えた住職と怨霊

お盆には昔から祖先の霊が帰ってくると考えられていて、子孫たちは伝えられた方法でお迎えし供養します。そんな安らぎの期間に知らない霊、それも怨霊が紛れてやって来たら……。

今回も「お盆の怪談」を日本宗教史研究家の渋谷 申博(しぶや のぶひろ)さんに語っていただきます。

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お盆ですね。お墓参りはすませましたか?

暦の上でいえばお盆は7月の行事なのですが、やはり月遅れの8月15日のほうがお盆という気分がします。旧暦で暮らしていた頃の民俗の記憶のためでしょうか。

仏教が日本に伝わる以前から、夏は祖先の霊が帰ってくる時期と考えられていました。祖先の霊は子孫たちに歓待され、いっときの安らぎを得て霊界に戻っていきます。しかし、中には帰るところがない霊や、帰ってきても迎え入れてもらえない霊もいます。お寺ではそうした霊のための供養も行いますので、それに満足してあの世に帰ってくれればいいのですが…​

ある地方の寺院には、寺の役員をしていた人の霊が住職を訪ねてきて、一緒にそばを食べたという話が伝わっています。

よほどそばに未練があったのでしょうか。食べたように見えたそばは、役員だった人が座っていた座布団の下にあったそうです。

お盆に現世に戻ってくる亡霊がこんなのんき者ばかりだったらいいのですが、なかには怨みや怒りを忘れられずにいるものもいるようです。そうした霊は往々にして悪いことを引き起こします。


お盆の仏間にあらわれた黒い靄(もや)…

この話は、霊を見ることができる女子高生S美さんの体験談です。

「霊が見える」といっても霊能者のようにはっきり見えるわけではなく、そこにいるということがぼんやりとわかる程度のことです。それでもそういう能力があると、恐いことに遭うことも少なくないそうです。

それならお盆はさぞかし恐いことだろうと思うのですが、S美さんはお盆が好きだと言います。お盆になると親戚が集まって宴会をしているような楽しさが家に満ちるからだそうです。

しかし、昨年の夏は違っていました。

その日、S美さんが部活を終えて帰宅すると、家の中の雰囲気がすっかり変わっていました。スモッグがたちこめたみたいに息苦しく、蒸し暑いのに鳥肌が立つような冷気を感じるのです。果物が腐ったような異臭もかすかにします。

祖先の霊が集まっている賑やかさを期待していたS美さんは、すっかり混乱してしまいました。それでもなにが起こっているのかを確かめるため、家に上がることにしました。

嫌な感じは奥に進むにつれて強くなります。そして、それは仏間の襖を開けたとたん、頂点に達しました。

瘴気(しょうき)というのでしょうか、その中に浸っていたら身も心も病みついてしまいそうなまっ黒い靄が室内で渦巻いていたのです。S美さんは思わず鼻を手で押さえました。

「なんでこんなことに…」

S美さんはそっと部屋に踏み込み、あたりを観察してみました。すると、靄にも濃淡があり、仏壇の周辺と精霊棚の下は薄くなっていることがわかりました。どうやら先祖の霊たちはそこで肩を寄せ合うようにしているようです。

一方、靄の発生源は部屋の南東の隅で、よく見るとそこに男の亡霊がしゃがみ込んでいるのがわかりました。S美さんには男の顔を見分けることはできないのですが、強い怒りを抱いていることがその瘴気を通じて感じられました。どうやら瘴気は男が怒りの発作にかられるたびに、その顔とおぼしきあたりから噴き出してくるようです。

瘴気は刻一刻と濃くなり、男の足もとからは蛇のように長いムカデが何匹も這い出してきています。

「どうしたS美? 帰ってくるなり仏間なんかに入ったりして」

夏休みで家にいた父親が様子を見にやってきましたが、部屋に入るなり顔をしかめました。

「なんだこの部屋、空気がひどくよどんでいるなあ」

そう言って父親は庭に面した南側のサッシを開けました。すると、生ぬるい風が部屋に吹き込んできましたが、瘴気の渦は少しもゆらぎません。

瘴気が見えていない父親はそんなことには気づかず、「こうしておけば空気が入れ替わるだろう」と言って居間に戻っていきました。

S美さんも2階の自分の部屋に入り、どうしてこんなことになったのか考えてみました。そして、一つだけ原因らしきことに思い当たりました。

それは、今年になって菩提寺の住職が代わったということです。

先代の住職は日本各地の霊山をめぐって修行を積んだことがあるそうで、読経も迫力があり、誰もが思わず頭を下げてしまう神々しさがありました。お盆の棚経回りでも、部屋のお清めから始める丁寧さで、これならご先祖も成仏できるなと安心できるものでした。

ところが、新しい住職の棚経は『般若心経』をてろてろと読むだけで、挨拶もそこそこに帰っていったのです。

「お清めが足りなくて悪霊が入り込んでしまったのかな?」

とにかく頼れる人は先代の住職しかいないと考えたS美さんは、菩提寺に電話をかけて先代の住職の連絡先を教えてもらいました。

聞くと、先代住職には家族がなかったため、お寺は本山から派遣されてきた新任住職に譲り、今は郊外のアパートに住んでいるとのことでした。

さっそくその家に電話をしてみると、すぐに先代住職が電話口に出ました。相変わらず通りのよい太い声でしたが、心なし力がないように思えました。

先代住職はS美さんのことをよく覚えており、電話をしてきたことを喜んでいたのですが、彼女が家の状況を伝えると「なんと…」とつぶやき、10秒ほど黙りこくりました。そして、「すぐに参りますから、それまで仏間は閉め切ってどなたもお入りになりませんように。不快さや不安に耐えきれなくなったら、躊躇せずに家から逃げ出しなさい」

と言って電話を切りました。

S美さんが1階に下りていくと、瘴気は少しずつ仏間から漏れ出しており、居間や客間にもたまり始めていました。先代の住職が来てくれることをS美さんが両親に伝えると、2人も仏間の異様さに気づいたらしく、黙ってうなずきました。
 

ご先祖の霊の後について入り込んだ怨霊

先代住職はそれから1時間ほどでやって来ました。

弟子という若い僧侶に体を支えてもらっていましたが、法衣に着替えると以前のようにしゃっきりとしました。

彼はまず仏間の様子を見ると言って、1人で部屋に入っていきました。しばらくすると中から「お前か!」と、うなるような声が聞こえてきました。それからしばらくして先代住職は厳しい顔をして出てきました。

「昨年の棚経の際に残しておいた結界が薄れてしまったので、ご先祖の霊の後について怨霊が入り込んでしまったようですな。そやつの怨念が瘴気となって家を汚しておりますので、まずは部屋を清め、その上で怨霊を連れ出すことに致します。万一怨霊が暴れると危のうございますから、弟子以外は仏間に近づきませんように」

S美さんは映画やマンガの悪霊退治を想像していたので、どんなことが起こるのかはらはらしていたのですが、仏間からは朗々とした読経の声が響くばかりです。やがて、ぼそぼそとした説得するような話し声が続いたかと思うと、家の中をすうっと涼やかな風が吹き抜けていきました。

それっきり瘴気は気配すら感じられなくなりました。

「退治したんですか?」

弟子に支えられて仏間から出てきた先代住職にS美さんがそう声をかけると、彼は弱々しく笑ってみせました。

「いやいや、悪霊といえど立派な人の魂じゃからな、退治など致しませんよ。よく言い聞かせた上で、わしに取り憑かせた。このまま連れ帰ります」

「え? 取り憑かせた? それじゃあ……」

S美さんの心配そうな顔を見て先代住職はからからと笑いました。

「お嬢さん、心配はご無用じゃ。こやつを導くのはわしの最後のお勤めと、出家前から決まっとったんじゃ。果たせるかどうか心配しとったんじゃが、お嬢さんのおかげで全うできます。お礼申しますぞ」

そんな謎の言葉を残して先代住職たちは帰っていきました。

「悪霊を払ってもらったのに、逆にお礼を言われるなんて。あんなに体が弱っているのに、悪霊を憑けたりして大丈夫かな?」

S美さんはどうしても気になったので、翌日、先代住職の家を訪ねてみることにしました。

先代住職が住むアパートは古びた木造の2階建てで、その1階の奥に彼の部屋がありました。2DKの室内のうちダイニングと1室はとくに変わったところはなく、独居老人の侘しささえ漂っていましたが、もう1室には不動明王を安置した小さな壇があり、その前には見たこともない仏具が並んでいました。

「お前さんの家におった悪霊は、そこの塔の中におるよ」

彼は不動明王の前に置かれた高さ10センチほどの金色の五輪塔を指さして言いました。「そこからわしが死ぬのを待っておるんじゃよ。末期ガンで余命は2月ほどらしいんじゃが」

「えっ?」

S美さんが絶句すると、先代住職はまた楽しそうにからから笑いました。

「祟っておるんじゃないんじゃ。わしが仏様のところに道案内すると言うてあるもんで、じっと待っているおるんじゃ。──ああ、こんな説明じゃわからんな。こやつとのことは誰にも言わずに墓までもっていくつもりじゃったが、あんたには話しておいたほうがよいじゃろう。長い話だが、聞いてくれるかな?」

そして、彼はこんな話を始めたのです。
 

住職と怨霊の意外な関係

わしは若い頃、すっかりグレておってな、暴力団の手下みたいなことをしとったんじゃ。いろんな悪いことをした。数えられんほどの悪事を重ねたが、人を殺したのは1回きりじゃ。

殺したのは青山って男じゃった。何人もの女を抱えて、その女たちに売春や麻薬の密売をやらせているという最低なヤツじゃった。自分は危ない橋を渡らず、すべて女たちにやらせとったんじゃ。その女がトラブルに巻き込まれたり、病気になったりすると平気で捨ておった。殺した女も1人や2人ではないという噂じゃった。

ある夜、わしはヤツが女を殴っているところに出くわした。わしは父親が母親を殴るのを見て育ったものだから、女を殴る男は大嫌いだ。それで、「やめろ」と叫んだんだが、そんなものでやめるヤツじゃない。ヤツは女が動かなくなるまで殴り続けた。

その時になってヤツはわしのことに気づいた。ヤツははした金をばらまくと、それで黙っていろと言いおった。わしを侮辱する言葉とともにな。

わしは兄貴分の命令で飲み屋に嫌がらせに行った帰りで、木刀を持っていたのが運の尽きだった。気がつくとわしはヤツを滅多打ちにしていた。

女の横に倒れたヤツは、脈をみるまでもなく死んでいた。それを見て、わしは急に恐くなり、街を逃げ出したんじゃ。

時代が時代じゃったし、殺された青山はいつ殺されても不思議じゃないヤツだったから、捜査もおざなりだったらしく、わしはとうとう捕まらずにすんだ。しかし、人を殺したということがどうしても忘れられず、わしは坊主になることにした。

そして、厳しい修行に打ち込んだ。死ぬかもしれないという苦行ばかり選ぶようにして行を重ねてきた。おかげでわしはいろんな術に詳しくなったが、罪けがれが薄くなったという気持ちは少しも起こらんかった。

そこで思い切って師匠に尋ねてみた。「苦行を重ねれば、いつかは人殺しの罪も消えるのでしょうか」とな。師匠ははっきりと言われた。「罪が消えることなどない」と。

わしは絶望しかけたが、師匠はこうも言われた。

「お前はこれからいろんな人を導き助けるだろう。だが、本当に助けるべきは、お前に殺された男の魂だ。お前に怨みを抱いたそやつの亡霊は、いつかお前を祟るだろう。その時こそ、全身全霊をかけてそやつの霊を救ってやれ。それこそがお前がこの世で行うべき唯一のことだ」

それからわしはずっと青山の亡霊を待ち続けていたんじゃ。

最近になって気づいたんじゃが、青山のほうでもわしのことを追い続けて、祟る機会をずっと待っていたらしい。ところが、わしは修行僧の頃の癖で、寺にしろ檀家の家にしろ、行く先々でお清めと結界をしてしまうので、近づくことができんかったんじゃ。

しかし、あんたの家に結界の破れを見つけて、ようやくわしを誘い出すことができたというわけじゃ。あんたの家には迷惑をかけたが、これでわしも青山も宿願がかなうというわけじゃ。

ん? どうやって青山を救うかって?

さて、これには正解がないもんでな。命ある限りはこやつの成仏を願って祈り続け、寿命が尽きた後は、こやつの手を引いて極楽を目指すつもりじゃよ。その前に地獄に寄らねばならないかもしれんがの。
さて、これには正解がないもんでな。命ある限りはこやつの成仏を願って祈り続け、寿命が尽きた後は、こやつの手を引いて極楽を目指すつもりじゃよ。その前に地獄に寄らねばならないかもしれんがの。

話を終えた先代住職はひどく疲れた様子でしたが、満足そうでもあったそうです。

2か月後、S美さんは先代住職の弟子から彼の訃報を伝えられました。

死の直前の10日ほどは痛みが強く、起き上がることもできなかったのですが、日課の読経は最後まで続けていたそうです。

最後の言葉は「さあ、行こうか」でした。誰かをいざなうようにほほ笑みながらそう言った、と最期を看取った弟子はS美さんに語りました。

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渋谷 申博(しぶや のぶひろ)日本宗教史研究家
1960年東京都生まれ。早稲田大学卒業。
神道・仏教など日本の宗教史に関わる執筆活動をするかたわら、全国の社寺・聖地・聖地鉄道などのフィールドワークを続けている。
著書は『聖地鉄道めぐり』、『秘境神社めぐり』、『歴史さんぽ 東京の神社・お寺めぐり』、『一生に一度は参拝したい全国の神社』、『全国 天皇家ゆかりの神社・お寺めぐり』(G.B.)、『神社に秘められた日本書紀の謎』(宝島社)、『諸国神社 一宮・二宮・三宮』(山川出版社)、『眠れなくなるほど面白い 図解 仏教』(日本文芸社)ほか多数。

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