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【医療ミステリー】裏切りのメス―第23回―

【前回までのあらすじ】
 埼玉・熊谷のゴルフ場で襲撃された安井芳次理事長だが、天才外科医・小倉明俊(吉元竜馬)により一命をとりとめる。埼玉県警・湯本利晴刑事は犯人の目星がついているという。数年前に詐欺と恐喝で逮捕され、少年院に入っていた鹿間凌という鈴代組の準構成員。鈴与組の尾方肇が背後で糸を引いていることを確信した「チーム小倉」の面々だった。
 陰謀渦巻く病院ビジネスを舞台とした【医療ミステリー】連載。毎週火曜日更新!
-著者プロフィール-
●田中幾太郎/ジャーナリスト
1958年、東京都生まれ。『週刊現代』記者を経てフリー。医療、企業問題を中心に執筆。著書は『本当に良い病院 悪い病院』『三菱財閥最強の秘密』(以上、宝島社新書)、『日本マクドナルドに見るサラリーマン社会の崩壊/本日より時間外・退職金なし』(光文社)ほか多数。

<実行犯の逮捕>

 2013年4月23日昼すぎ、刑事の湯本利晴から、鹿間凌が逮捕されたとの報がもたらされた。安井芳次が鹿間に襲われて2日後のことだった。

「今日の未明、新宿歌舞伎町のネットカフェから出てくるところを捕まえたんです」

 鹿間は埼玉県熊谷市のゴルフ場で犯行に及んだあと、待っていた鈴代組の組員の車で熊谷駅まで行き、そのまま湘南新宿ラインに乗って新宿まで出てきたらしい。

「電車を使う可能性が高いと思って、すぐに熊谷駅に署員を行かせたんですが、配備をすり抜けてしまった。歌舞伎町には鈴代組のシマがあり、鹿間はそこのネットカフェに直行したようです」

 歌舞伎町では500m四方のエリアに反社会勢力が群雄割拠する。一昔前は縄張り争いが絶えなかったが、近年は共存共栄が図られるようになり、無用の争いはだいぶ減った。北関東を中心に展開する鈴代組も、東京の唯一の拠点として、歌舞伎町に小さいながらシマを張っていた。

 地下1階にネットカフェ、同じビルの3階にはホストクラブが入っていた。かつて、国立大医学部生だった尾方肇がアルバイトしていた店だ。客で来ていた16歳の中国人少女に貢がせトラブルとなり、それを解決したのが鈴代組だった。大学を辞めざるを得なくなった尾方は鈴代組の企業舎弟となり、病院乗っ取り屋の道を歩むようになったのである。

「鹿間が犯行後、歌舞伎町に行ったのは尾方と会うためだった。ネットカフェで落ち合ったようなのですが、その後の尾方の足取りがまったくわからないんです」

 鹿間の身柄はすぐに新宿から埼玉県北部の所轄署に移され、午前中そのまま、取り調べに入った。しかし、尾方のことについては一切、話をしようとはしなかった。

「尾方の行方も気になりますが、ともかく、安井の命が助かっただけでも儲けものだったかもしれない」と湯本刑事は言う。

「鹿間のジャンパーの内ポケットから拳銃が出てきたのです。ただ、本人はまったく撃った経験がなく、不安だったのでしょう。ゴルフ場でとっさに安井のゴルフクラブを奪い、それで殴ったというわけです」

 鹿間が所持していたのはイタリア製のベレッタM20。重量は306gしかない超軽量のポケットピストルだが、殺傷能力は十分だ。もし、安井が撃たれていたら、まず命はなかっただろう。小倉明俊になりすます天才脳外科医・吉元竜馬の手技のおかげで、安井はすでに意識を取り戻している。

 ここ数日の間に、警察は鈴代組の関係各所にガサ入れすることになるだろうが、何か出てくる可能性はゼロに近い。鹿間逮捕のニュースを受け、「ヤバいものは我々警察の手が及ばない場所に移している」のは当然として、今回の件に関してはそれとは別の背景もあると湯本は話す。

「鹿間をこれだけ早く、しかも現場ではなく新宿で逮捕できたのは、実はタレコミがあったからです。ボイスチェンジャーで声は変えていましたが、鈴代組の人間であるのはほぼ間違いない。どうも、鈴代組内部に亀裂が入っているようなんです」

<木村と尾方の思惑>

 今回の事件に鈴代組の鈴山峰雄組長以下、組織の本流は関知していないというのが、湯本ほか所轄署にいる刑事たちの見解だった。鈴山組長らは事件が起こって初めて知ったのだ。では、誰が起こしたものなのか。もちろん、尾方肇は首謀者のひとりだが、強力な援軍がついているという。

「鈴代組のフロント企業であるベルファイナンスの代表、木村恭二郎です。尾方のサポーターというより、もうひとりの首謀者といったほうが正しいかもしれない」

 私は仰天したように「木村代表は鈴山組長の身内で、鈴代組の実質的なナンバー2だったはずでは」と口を挟んだ。

「そうなんですが、以前の人間関係とはだいぶ変わってきている。尾方に金融のイロハを一から教え、病院乗っ取り屋に育て上げたのは木村ですからね。尾方のことがかわいくて仕方ないのでしょう。それと、木村は数年前から、鈴山に相当な不満を持っていた。ベルファイナンスがいくら稼いでも、すべて組が吸い上げて、手元に全然残らない。これではいつまでたっても、ヤミ金の取り立て屋から抜け出せないと危機感を持っていた。木村はファンドを立ち上げて、もっとどでかい投資の世界にチャレンジしたかったようです」

 木村にとって、尾方はかわいい弟子であると同時に、希望の星でもあった。即決勝負で仕掛ける病院乗っ取りは、うまくいけば億単位の収入が見込める。それを元手に、尾方とコンビで本格的な投資ビジネスに参入していくというのが、木村の描いた青写真だった。

 その構想に邪魔になるのが、旧態依然とした暴力団のやり方をいまだに続ける鈴山組長の存在だったのだ。組の名を振りかざしたり、金バッジをちらつかせれば、相手は怯えてカネを出すと思っている。そうして得た資金を投資する先はせいぜい風俗関連で、未来に通じるビジネスに打って出るような気はさらさらないのだった。

「木村に理解を示す組員もいたようなのですが、正面切って鈴山組長に歯向かうような者はいなかった。結局、木村は鈴代組の解体を画策するようになるんです。今回、安井を狙ったのは憤然としている尾方の気持ちを和らげるためですが、鈴代組を陥れようという目的もあった。組長が積極的に安井を襲わせたと、我々に思わせるつもりだったのでしょう」

 そこで木村が目をつけたのが少年院を出て2年足らずの鹿間凌だった。まだ正式な組員にはなっていないが、準構成員として鈴代組に名を連ねていた。この鹿間が事件を起こせば、組織の長として鈴山組長の使用者責任が問われると踏んだのだ。もし、鈴山がそれを命じ、拳銃を渡したとなれば、さらにその罪は重くなる。

「まだ、取り調べは始まったばかり。時間がたてば落ちるかもしれませんが、鹿間が尾方や木村の関与を認めようとしないのは尊敬の念があるからでしょう。鹿間が少年院に入ったのは、未公開株詐欺。中小企業の経営者をターゲットに、架空の未公開株を言葉巧みに売りつけていた。未成年が行うような詐欺じゃないんですが、こうした知的犯罪に異常なまでに執着があるんです」

 鹿間はどうも、高い知性を武器に病院を乗っ取っていく尾方に憧れていたらしい。木村に呼び出され、「尾方君を助けてやってほしい」と頼まれた鹿間は率先して、安井を襲ったのだ。もっとも、木村から渡された拳銃を使わなかったのは賢明だった。引き金を引いていたら、殺人犯になっていたのだから……。

<多忙の中で>

 ともかく、実行犯逮捕は私たちチーム小倉にとって歓迎すべきニュースに違いなかった。合意寸前で尾方との話し合いを蹴った安井が命を狙われたように、トンビが油揚げをさらうがごとく病院の経営権を奪っていったチーム小倉がターゲットになっていた公算は高いのだ。ただ、尾方が行方をくらましている点だけは気になる。湯本刑事は「捕まるのは時間の問題」と言っていたが、果たしてすべてがこちらに都合よく展開していくだろうか。

 だが、そんな心配をするヒマもないほど、チーム小倉のメンバー4人は忙しく動きまわらなければならなかった。何しろ、今回私たちが掌中に収めた安井会グループには150床から600床まで7つの病院があるのだ。恒常的に赤字が当たり前になっている経営を黒字体質に転換するために、早急な改善が求められている。7つの施設それぞれ、どの点が問題なのか、細部にわたってチェックをしていかなければならないのである。

 東京に戻る時間も惜しく、グループの中核を担う安井中央病院近くの月極マンションを4部屋確保した。4月25日夜11時、佐久間君代が前触れもなく、私の部屋を訪ねてきた。

「下川さん、誕生日おめでとう」

 すっかり忘れていた。この日は私の46回目の誕生日だった。佐久間はボルドーを代表するワイン「シャトー・ラフィット・ロートシルト」を持参していた。近年では最高の当たり年とされる2000年物だ。

「何か大切なことがあったら飲もうと思って、とっておいたものなの」

 口の中で転がすと、スパイスのクローブと似た複雑な香りが鼻孔をくすぐった。喉を通ると、タンニンの力強い渋みを感じた。

「2週間前の会話、覚えていますか」

 忘れるはずがない。私は思い切って、佐久間にパートナーになる気があるかどうか、たずねたのだ。「いまはダメ」というのが彼女の答えだった。4人しかいないチーム小倉が空中分解してしまうというのがその理由だった。

「でも、やっぱり下川さんと一緒になりたい」

 私と佐久間は7年ぶりに結ばれた。
(つづく)


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