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【医療ミステリー】裏切りのメス―第39回―

【前回までのあらすじ】
「チーム小倉」のリーダー下川亨が危惧した通り、尾方肇は刑期を8ヶ月も前にして仮釈放を受け、外に出ていた。ますます、「チーム小倉」のメンバー・蒔田直也と白木みさおを殺害したのは尾方ではないかと、疑念を深める下川だった。
 陰謀渦巻く病院ビジネスを舞台とした【医療ミステリー】連載。毎週火曜日更新!
-著者プロフィール-
●田中幾太郎/ジャーナリスト
1958年、東京都生まれ。『週刊現代』記者を経てフリー。医療、企業問題を中心に執筆。著書は最新刊として『歯医者のホントの話』(KKベストセラーズ)、その他にも『本当に良い病院 悪い病院』『三菱財閥最強の秘密』(以上、宝島社新書)、『日本マクドナルドに見るサラリーマン社会の崩壊/本日より時間外・退職金なし』(光文社)など多数。

<仮釈放の謎>

「6ピン上がりか」

 アルコール度数75・5度のラム酒が脳に回ってくると、尾方肇がすでに刑務所の外に出ている事実を知った衝撃も次第に和らぎ、私は思いもかけない言葉を呟いていた。

 6ピン上がりとは、受刑者の間で使われる仮釈放に関する隠語である。刑期の3分の2が終わった時点で仮釈放が出たら「3ピン上がり」、4分の3なら「4ピン上がり」、5分の4なら「5ピン上がり」……。6ピン上がりは刑期の6分の5を務め上げて、仮釈放をもらうことをいう。尾方は4年(48ヵ月)の刑期を8ヵ月残し、40ヵ月の時点で仮釈放が認められたので、6ピン上がりというわけだ。

 なお、刑法では刑期の3分の1以上、務めれば、仮釈放が検討されることになっている。つまり3年の刑期なら、うまくいけば1年後に娑婆の空気を吸える可能性がある。とはいえ、現実には絵に描いたモチ。どんなに早くても刑期の3分の2がすぎないと、仮釈放が認められるケースはまずない。

 受刑者たちの間で使われている隠語が私の口から出てきたので、元刑事の湯本利晴は驚いたように「下川さん、よくそんな言葉を知っていますね」と言った。

「警察官でも知っている者はそれほど多くないんじゃないかな。すぐわかるのは、再犯を繰り返す被疑者としょっちゅう接している刑事くらいですよ」

 私がその言葉を耳にしたのは、いわれなき罪で東京拘置所に入れられていたときだ。雑居房で一緒になった70代の男から教えてもらったのである。

 もっとも、彼が仮釈放を欲しがっていたわけでない。寒くなると、宿無しのその男は「3食付きホテル」と称する刑務所に入るために、無銭飲食をはたらく。できるだけ、刑期が満了になるまで塀の中にいたいのだ。「普通はみんな、3ピン上がりを目指すんだが、俺は仮釈なんていらない。寒空に放り出されるのはごめんだからね」と笑っていた。

 湯本は「いまはけっこうきつくなっていて、3ピン上がりは簡単には出ない」と話す。

「厳罰傾向が強まっているんです。よくて4ピン。5ピンなら御の字といったところ。そもそも、暴力団の現役だと、たとえ初犯でも、仮釈放はなかなか望めない。尾方の場合、バリバリの暴力団員かどうかは判断の分かれるところですが、奴が鈴代組の稼ぎ頭だったのはまぎれもない事実。暴力団の資金源を断ちたい当局側からすれば、なるべく長く塀の中に閉じ込めておきたいのが本音でしょう。たとえ6ピン上がりでも、尾方のような立場の受刑者が仮釈放を取れたというのは稀有なことなんです」

<尾方の計画>

 そもそも、3ピンか6ピンか以前に、仮釈放が認められる割合自体、年々減り続け、2009年には全体の5割を切っている。なのに、尾方になぜ仮釈放が与えられたのか。湯本はこう続けた。

「すんなり、僕らに捕まったのも、いまから考えると合点がいくのですが、すべて尾方のプラン通りだった。早く警察に逮捕され、裁判も短くすませ、そして刑務所に入ったら仮釈放を取る。そのために用意周到にシミュレーションをしていたものと思われます」

 3年8ヵ月前の2013年5月、尾方は自首こそしなかったものの、あまりにもあっさりと、湯本らの手によって逮捕された。

「尾方は鈴代組と手を切るチャンスと捉えたのか。それとも、チーム小倉への復讐を実行に移すためか。いずれにしても、いつまでも警察に追われる身のままでは、動きをとることはできない。この際、一度リセットする必要があったのです」

 それが刑務所で禊(みそぎ)をすますことだった。そして仮釈放を勝ち取り、できる限り早く塀の外に出て、鈴代組とも縁を切って、晴れて自由の身となる。尾方はそうしたシナリオを描いたに違いなかった。

 仮釈放の申請は、最終決定権を持つ地方更生保護委員会に対し、刑務所長が行うのだが、実際にその判断をするのは「担当さん」と呼ばれる現場の刑務官だ。この受刑者はよく反省していると刑務官の目に映れば、仮釈放の申請が行われるのである。そのあたりは、そつない尾方のことだ。ミスは犯さなかったに違いない。

「刑務所では、尾方はいわゆる模範囚だった。いざこざが起こっている場所には近づかず、懲罰を受けたことも一度もない。日中は黙々と刑務作業に励み、夜の自由時間はずっと読書。ひたすら、おとなしくしていたそうです」

 刑務所内での覚えがよくても、地方更生保護委員会が却下すれば、それまでである。暴力団関係者というだけで、仮釈放が認められる可能性はぐっと減るのだ。

 地方更生保護委員会では仮面接と本面接の2回の面接が行われ、委員たちは受刑者がいかに改悛の情を持っているかを見極める。再犯しないと確信が持てなければ、仮釈放のOKは出ない。「釈放しました、また罪を犯しました」では、判断する委員の責任が問われかねないからだ。

 暴力団関係者の場合は、組に戻れば、再び犯罪に手を染める可能性が高い。おいそれと仮釈放を出すわけにはいかないという意識が、委員たちの間で浸透しているのである。

「委員会の面接で、尾方は釈放されても鈴代組にはかかわらない旨の誓約書を提出しているんです。本来なら、実際に組に出した脱退届の写しや、組からの破門状を提出すべきところなのでしょうが、尾方は正式な組員ではない。そこで、誓約書という形になったようです」

 尾方からすれば、一石二鳥だった。出所後に鈴代組から病院乗っ取りの話を持ちかけられても、誓約書を盾に拒否の姿勢を見せることができる。今後、病院乗っ取りを手がけるにしても、いまや暴力団と組む気はさらさらないのだ。

 もっとも、鈴代組としても、稼ぎ頭を簡単に手放すとは思えないが、尾方は強行突破するつもりなのだろう。どこかで断固とした態度を示さないと、ずるずると関係が続いていってしまう。そうした意味では、公的な機関に誓約書を出しておくことは、組に対する大きなプレッシャーとなるのだ。関係を断ち切ることを公けに宣言している尾方を、組が無理やり引きずり込もうとすれば、警察が介入するいい口実となる。

<獄中結婚>

「さて、さらなるニュースをお伝えしなければなりません」

 もったいぶった湯本の言葉に、とっくに酔いは醒めているのに、ラム酒がまだ私の頭を掻き回しているかのような錯覚を覚えた。尾方の出所を超える話題があるというのか。

「尾方は獄中結婚していたのです」

 混濁した私の脳裏に、すぐにひとりの女性の名前が浮かび上がってきた。尾方が結婚するとしたら、あの女性しかいないではないか。それは、そうあってほしいという強い願望だった。

「相手は林佳怡(リン・ジャイー)か!?」

「その通りです。いまは日本に帰化して、峯田佳子になっていますがね」

「なるほど──。2人が結ばれるのは不思議じゃないけど、それにしても獄中結婚とは思い切ったものだ」

「尾方が刑務所に入ってから、ジャイーは毎週一度必ず、面会に来ていたという話です。そして、いまから1年前の2016年1月、婚姻届を出したそうです」

 中国籍のジャイーが新宿のホストクラブでアルバイトしていた尾方に数百万円のカネを貢いでいたのは10代半ばのころだ。それがもとでトラブルに巻き込まれた尾方は通っていた国立大医学部を辞めざるをえなくなった。あれから20年がたち、ジャイーも30代後半に差しかかろうとしていた。

「ジャイーからすれば、一途な恋を成就させたというわけですか」

「ともかく、この結婚が尾方の仮釈放に大きなプラスとなったのは間違いありません」

 地方更生保護委員会が仮釈放を審査するにあたって、再犯する恐れがないこと以上に重視するポイントがある。しっかりした身元引受人がいるかどうかである。配偶者、両親、親族、出所後に就職先が決まっていればそこの代表、地元の有力者といったあたりが候補となる。この中でベストは配偶者である。

「ジャイーが身元引受人になっただけでなく、彼女の養母の峯田友子も地方更生保護委員会に上申書を出して、娘と尾方を全面的に支えていくと述べているんです。しかも、自身が住む新宿御苑近くのマンションに、もうひとつ部屋を購入。そこに夫婦を住まわせるという。峯田は元中学校教師ですから信用度も抜群で、ほどなく尾方の仮釈放が認められたのです」

 私の頭にひとつの疑念が湧いてきた。本当に蒔田直也と白木みさおを殺したのは尾方なのか。チーム小倉に復讐するために、ジャイーと結婚して、その母親まで使って、仮釈放を取ろうとするだろうか。どこか、話のつじつまが合わないような気がする。そもそも、あれは殺人なのか。

「もう少しで、司法解剖の細かい結果が上がってくると思うので、それまで待ってください」

 湯本の言葉に頷きながらも、得体のしれない闇に落ちていく自分を感じていた。
(つづく)


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