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【医療ミステリー】裏切りのメス―第15回―

【前回までのあらすじ】
 安井会グループにターゲットに絞った病院再建屋集団「チーム小倉」。だが、思わぬところから問題が発生していた。
天才医師・吉元竜馬がなりすましている小倉明俊が死亡し、身元不明の遺体として警察に回収されていたのだ。遺体を確認した下川亨は、遺体から微かに薬物特有の甘い香りを嗅ぎ取り、誰かに殺害された可能性を感じた。
背景にある何かの陰謀が脳裏をよぎるのだった。
 陰謀渦巻く病院ビジネスを舞台とした【医療ミステリー】連載。毎週火曜日更新!
-著者プロフィール-
●田中幾太郎/ジャーナリスト
1958年、東京都生まれ。『週刊現代』記者を経てフリー。医療、企業問題を中心に執筆。著書は『本当に良い病院 悪い病院』『三菱財閥最強の秘密』(以上、宝島社新書)、『日本マクドナルドに見るサラリーマン社会の崩壊/本日より時間外・退職金なし』(光文社)ほか多数。

<不安な夜>

 その晩はなかなか寝つけなかった。警察署の霊安室に横たわる本物の小倉明俊を見て、このまま身元不明の遺体として処理されるのだろうと思い込んでいたが、そこには大きな落とし穴があるのに気づいた。小倉が一度、逮捕されていることを思い出したのである。

 その医療過誤事件は医師の責任を問えるようなものではなかったが、亡くなった患者の夫が地元の有力者だったため、警察も無理を承知で逮捕に踏み切ったのだ。いずれにしても、逮捕時に指紋を取られているはずだった。私が詐欺で刑事告訴されたときもそうだったが、逮捕されると写真撮影と指紋採取が強制的に行われる。この2つだけは被疑者が拒否できないのである。

 となると、小倉の指紋は警察のデータベースに登録されているに違いなかった。ただ、小倉は地裁でも高裁でも無罪を勝ち取り、検察が上告しなかったので判決が確定している。無罪になれば、写真や指紋はデータベースから削除すべきだが、そうはなっていないだろう。私の場合も無罪は確定したものの、写真や指紋はそのまま廃棄されずに残っているようだった。自身の判決が出たとき、私は弁護士に指紋がどうなるのか尋ねた。

「警察が一度得た情報を手放すわけないでしょうね。指紋は半永久的にデータベースに登録されたままだと考えるのが妥当でしょう。一度逮捕されると、たとえ無罪になろうと、警察からすればその人間は前科者と同じなのです。彼らに人権意識などあろうはずがない。もし下川さんがお怒りになるのであれば、警察に対して行政訴訟を起こしてもかまいませんが……」

 私は弁護士の申し出を丁重に断った。警察と対決姿勢を見せるのは得策ではないと思った。すねに傷がない身とは言えなかった。叩けば、いくらでも埃が出てくるのだ。

 指紋を照合すれば、身元不明遺体が小倉明俊であることが判明してしまうだろう。そうすれば、警察は吉元竜馬が小倉になりすましている事実まで行き着く可能性がある。実際、指紋は照合されているのだろうか。考えれば考えるほど、不安が募ってくる。

 すでにチーム小倉は動きだしている。いまここで軌道修正する時間はない。現実に指紋照合されているかどうかもわからない以上、いろいろ考えても仕方がない。とりあえずは思考を停止させるしかないのだ。

 だが、ベッドに横になって目を閉じても、一向に眠気が来ない。芋焼酎のお湯割りを何杯もあおったが、ますます目は冴えるばかりだった。明け方近くになってようやく、1時間ほど眠ることができた。

 不吉な予感はいつまでも心をざわつかせ、澱のように溜まっていったが、そこで立ち止まることもできないほど忙しかったのが救いだった。安井芳次との面会に向け、1秒たりとも無駄にするひまはなかったのだ。この勝負の勝利を確実にするために、さらに安井会グループに関する情報を集め、シミュレーションを繰り返した。そして2013年4月6日、病院一大チェーン構想の第一歩となる運命の日を迎えた。

<チーム小倉の初陣>

 安井芳次が指定した場所は、彼が最初に開業した15床の診療所だった。安井が生まれ育った群馬県の地方都市のはずれにあった。モルタル造りの診療所は見るからに安普請で、外壁にはひび割れが目立った。数百床規模の病院を7つ持つ安井だが、原点ともいうべきこの診療所への思い入れはいまだに強いようだった。

 この日はチーム小倉の初陣ということで、私、蒔田直也、佐久間君代、小倉明俊になりすます吉元竜馬のメンバー4人が全員揃った。私たちの気合いはいつにもまして高まっていたが、玄関に現れた安井を見て、いささか拍子抜けした。目の前の安井は63歳の年相応の男だった。身長はプロフィールにある170cmよりもだいぶ低く感じた。経営にいき詰まり疲弊していた点を割り引いても、一代で北関東有数の病院グループを築き上げたオーラはどこにも見られなかった。

「ようこそ、お待ちしていました。先ほどまで診察していたんですよ」

 えらく腰が低い。不遜なワンマン経営者を想像していただけに、調子が狂う。安井は私たちを苦しい資金繰りを助けてくれる救世主だと思っているのだろう。それにしても、もう少し自分を大きく見せようとする素振りがあってもよさそうなものだ。事前に仕入れていた情報では、相当な見栄っ張りのはずだった。「ちょっとでも馬鹿にされたと思うと激怒する」と語っていたのは今回、話をつなげてくれた安井のゴルフ仲間の開業医だ。

「高校の同窓会に呼ばれないことを嘆いていたので、ゴルフ仲間のひとりが『安井先生、同級生から嫌われていたんですね』と冗談混じりに言ったんです。そしたら、母校に一番貢献してきたのは自分であり、みんなから慕われていると、烈火のごとく怒りだした。グランドピアノを寄付したとか、そんなことまでいろいろ挙げだしたんです。ただ、安井さんは高校で飛び抜けた優等生だっただけに、OBの間では煙たがられる存在であったのは事実のようです」

 だが、ここにいる安井は別人のようにおとなしかった。顔色も悪い。

 通された応接室は思いのほか、質素な造りだった。6畳ほどの広さに、合板を張り合わせた粗末な机が置かれていた。さっそく席についた。チーム小倉が4人なのに対し、安井会グループ側は安井だけだった。

「残念ながら、うちのグループには信頼できる人間がいなくてね。重要なことを決めるときはいつも私ひとりで臨んでいるんです」

 安井はこう言い訳した。絶対的なワンマン体制は人材が育たないという弊害をもたらしていた。

<蒔田のプレゼン>

ひと通り自己紹介をすませると、安井は「あなたがたに支援をお願いしたいと思ったのは、カネの件もさることながら、そちらのメンバーに蒔田さんがいると聞いたからです」と言った。

 蒔田は創業一族が牛耳っていた埼玉県の総合病院に医療コンサルタントとして入り込み、こじれていた労使問題を解決。その後、事務長として招かれ、わずか2年足らずで経営を立て直した。「すごい事務長がいる」とのニュースは瞬く間に北関東の医療界を駆け巡った。「蒔田直也」の名前は多くの医療関係者が知るところとなったのである。それは安井の耳にも届いていた。

 安井に対し、蒔田はさっそくプレゼンテーションを開始した。相手を話術で引き込むのは蒔田のもっとも得意とするところだ。

「データが揃っているわけではないので、正確なことは申し上げられませんが、財務資料をざっと見たところ、診療報酬の請求で、できるのにやっていないものがかなりある。これでは赤字になるのも当然です」

 医療コンサルタントの仕事の中で需要がもっとも大きいのは、2年ごとに改定される診療報酬をどう解釈し、いかに多くの額を引き出すか。診療報酬の項目は多岐にわたるが、そのひとつひとつの解釈や対応の仕方によって、大きな差が出てくるのだ。

「安井会グループの担当者の方は、診療報酬改定にしっかり対応できているとは思えない。インチキをやれといっているのではありません。改定の行間を読み取って、規定ぎりぎりまで引き出さなければ、損するようにできているのです」

 数字にも強い蒔田のプレゼンは説得力がある。安井も感心したようだった。

「やはり、評判通りですね。ぜひ、わがグループの再建はチーム小倉にお任せしたい。ただ、そう悠長なことも言っておれないのです。今度の5月に期日が来る手形が落とせるかどうかの瀬戸際なのです」

 手形の件については、事前の調査とほぼ合致していた。ここは私の出番である。

「当座の資金については心配しないでいただきたい」

 私はバッグから残高証明書を取り出し、安井に見せた。そこには30億円の金額が刻まれている。4年前に相続したものだ。

「残高証明書だけでは信用なさらないかと思うので、こちらもお見せしておきましょう」と言って、私は預金通帳を開いて安井の前に置いた。この30億円は4年前から手つかずで銀行に預けてあり、見せガネのために急遽、用意したものではないことを示したかったのだ。

「もちろん、これを安井さんに差し上げるわけではありません。当面の手形決済のために使い、診療報酬の入金があれば、それで返してもらいます。その間に蒔田君に財務の改善に取り組んでもらえば、これまでの自転車操業から抜け出せるはずです」

 安井の顔に精気が戻ってきた。すっかり私たちのことを信用している様子だった。だが、これだけで話は終わりではない。私はこう付け加えた。

「グループの運営については全面的に私たちに任せてほしい。それと、安井さんには名誉理事長になっていただく。新理事長にはうちの小倉明俊医師を就けたいと考えています」

 私は安井の顔が一瞬、曇ったのを見逃さなかった。
(つづく)

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アナタイイヒトデスネ!
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