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【医療ミステリー】裏切りのメス―第46回―

【前回までのあらすじ】
「たしかに、チーム小倉をうらんでいますよ」、チーム小倉のリーダー下川亨の問いにそう答えた尾方肇だが、チーム小倉のメンバーを殺害するのはあり得ないと否定した。さらに、安井芳次襲撃事件に関しても冤罪を主張した。あまりにも都合のいい説明に、下川は疑念を増していた。
 陰謀渦巻く病院ビジネスを舞台とした【医療ミステリー】連載。毎週火曜日更新!
-著者プロフィール-
●田中幾太郎/ジャーナリスト
1958年、東京都生まれ。『週刊現代』記者を経てフリー。医療、企業問題を中心に執筆。著書は最新刊として『歯医者のホントの話』(KKベストセラーズ)、その他にも『本当に良い病院 悪い病院』『三菱財閥最強の秘密』(以上、宝島社新書)、『日本マクドナルドに見るサラリーマン社会の崩壊/本日より時間外・退職金なし』(光文社)など多数。

<用意されたシナリオ>

 尾方肇の横に座り、ずっと緊張の表情を崩さなかった林佳怡(リン・ジャイー=現・尾方佳子)も、夫の落ち着いた様子に安心したのか、いつのまにか席を外していた。よく喋るわりに、まったくすきを見せない尾方に、私は突破口を失っていた。膠着状態の中、これまで沈黙を守っていた佐久間君代が口を開いた。

「非常に失礼なのですが、尾方さん、1月21日の夜から22日未明にかけて、どちらにいらっしゃいましたか」

 私のような生半可な質問ではなく、佐久間はずばり核心に切り込んだ。かつてのレズビアンパートナー白木みさおを死に追いやったかもしれない男の言い逃れを許さないという気迫が伝わってきた。だが、尾方はまったく表情を変えなかった。

 白木と蒔田直也の死亡推定時刻はいずれも午後11~12時。もしこの件が殺人の場合は、死に至った時間帯を絞るよりも、その前後が問題になってくる。ワインにあらかじめ仕込んでおいた医療用麻薬オピオイドが効いて、2人が朦朧として寝入ったのを盗聴器で確認し、部屋に忍び込み練炭を置く。そして部屋から出て、しばらくして2人が死んだのを見計らい、再び侵入し練炭を回収する。となると、死亡推定時刻をピンポイントで調べるだけでなく、前後それぞれ3時間くらいの被疑者の行動も確認しなければならない。あくまでも、私の推理が正しければの話だが……。

 佐久間の質問に尾方はすぐには答えず、「おーい、佳子」と、台所で何かを作っていたらしい妻を呼んだ。みんなのいるリビングに再び、ジャイーが顔を出すと、尾方は「先月の21日の夜って、僕がどうしていたか覚えてる?」と聞いた。

「ちょっと待ってて。手帳を見てみるから」と奥の部屋に行くジャイーの後ろ姿に、私は少し苛立ちを覚えた。2人のやりとりがわざとらしい気がしたのだ。

 尾方は、私たちが今日、ここを訪ねた理由をよくわかっている。当然、こうした質問が出ることも想定していたはずだ。なのにこの場で、蒔田と白木が亡くなった日のことを妻に確かめるとは、あまりに茶番ではないか。これが奴の用意したシナリオなのか。

「2人でずっと一緒にいたわ」

 戻ってきたジャイーが手帳を見ながら言った。「この部屋でか」と尾方がたずねると、「ここに戻ってきたのは午前1時くらいね。それまでは歌舞伎町のKで飲んでいた」とジャイーが答えた。

 Kといえば、尾方が学生時代にアルバイトをしていたホストクラブの同僚が開いた洋食居酒屋だ。湯本利晴が在籍していた埼玉県北部の所轄署が病院乗っ取り事件の立件に向け動きだし、尾方はほとぼりを冷ますために、新宿歌舞伎町のラブホテルに潜伏していた時期がある。2010年から2012年にかけてのことだ。

そのころに尾方が隠れ家的に使っていたのが、このKという店だった。美味い牛肉料理を食べさせると周辺の水商売関係者の間で評判だったが、カウンター席が5つしかなく、値段もそこそこしたので、それほど流行っている感じはなかった。潜伏をやめて以降も尾方は通い続け、ジャイーと結婚してからは2人で顔を出すようになったという。

「そうだった。8時半から飲み始めて、4時間くらいいたな。土曜日だったから勤め人の客はほとんど入ってこなくて、お水の子が腹ごしらえにちょっと寄ってはすぐ出ていく。かなりヒマだったんで、店長も一緒に飲みだした。結局、ワインのボトルを5本も空けて、3人とも相当酔っ払ったんですよ」

 それが本当か、作ったものかは別にして、尾方とジャイーが語るストーリーは、犯人でないことを主張するには十分な要素がしっかり盛り込まれていた。時間的には練炭を回収しに行くことは不可能ではないが、すでにアルコールがからだじゅうに行き渡っている状態で、蒔田と白木のいるマンションまで、車を走らすことができるだろうか。タクシーを使えば別だが、新宿から埼玉県北部の安井中央病院近くのマンションまで70㎞はあるのだ。運転日報にも記録されているだろうし、長距離の客はドライバーの記憶にも残りやすい。犯罪に臨もうとする者にとってはリスクが大きすぎる。

 何より、現場に練炭を置きに行くのはどうすればいいのだ。それが可能な時間帯は歌舞伎町の店にいたことになっている。その証明はそこの店長がすることになるのだろうが、口裏を合わせられれば、それ以上、追及はできない。昔から懇意にしているホスト仲間とあっては、尾方に不利な証言を引き出すのは難しいだろう。

<ボロを出さない尾方>

 用意周到なシナリオを崩す材料を、私たちは持ち合わせていない。勢い込んで質問をぶつけた佐久間も一言も発しない。湯本も沈黙を守っている。つい半年前まで現役の刑事だった男でさえも、突っ込みどころを見つけられないでいるのだ。こちらとしては万策、尽きたかのようだった。重い空気を吹き払うように、尾方が口を開いた。

「湯本さんとは何度も顔を合わせていますが、下川さんや佐久間さんとは今日が初めて。お近づきのしるしといってはなんですが、うちで食事をなさっていきませんか。妻がいろいろ用意してくれているんで。上等なシャンパンも手に入っていますしね」

 こちらが気を許す態度を見せていいものかどうか。両脇に座っている湯本や佐久間の顔を見たが、どちらも困惑の表情をしている。私(下川亨)に決めてくれと、2人の目は語っていた。

「では、お言葉に甘えて」

 迷った末に(といってもわずか30秒ほどだったが)、尾方夫妻のもてなしを受けることにした。蒔田や白木が医療用麻薬が入ったワインを飲んで昏睡状態におちいったことを思うと、少しためらわれたものの、まさかここでそんな仕掛けはしていないだろう。それより、アルコールが入れば、尾方が何かぽろっと洩らすのではないかと期待したのだ。

 しばらくすると、ジャイーの手料理が運ばれてきた。佐久間も台所に行って手伝った。テーブルに生ガキ、ホウボウとアカハタの刺身、カワハギの肝和え、クロメヌケの塩焼き、アグー豚の角煮などがところせましと並べられた。魚は全部、ジャイー自身がさばいたのだという。意外だったのは、彼女の元の国籍である中国の料理がひとつもなかったことだ。

「一応、上海生まれですが、4歳のとき、日本に来ていますから、あまり向こうの料理には馴染みがないんです。母親も家でほとんど、料理をしなかったし、コンビニ弁当で育ったようなものです」

 こう言って、ジャイーは笑った。尾方が用意したシャンパンはフランスのルイ・ロデレールクリスタル。

「アメリカではクリスタルを飲むことが一種のステータスになっていて、成功者の証しとされてきた。でも、ここの販売元の役員が2000年代前半に、黒人ラッパーに対する人種差別発言をして、一気に人気が下がるんです。ただ、味は昔と変わらず力強く、僕はいまだに世界一、ゴージャスなシャンパンだと思っています」

 ホスト時代に尾方はあらゆるシャンパンを口にしてきたのだろう。まつわるエピソードを聞いているだけで、美味しさが倍増する気がする。うんちくを披露してもまったく嫌味がなく、話術の巧みさがうかがえる。蒔田直也も弁が立ったが、負けず劣らずという感じだ。2人がディベートしたら、どちらが勝つのだろうか。非常に興味のあるところだが、蒔田が亡きいま、そうした対決も望むべくもない。

 シャンパンを飲み終わると、ウイスキーをロックで飲み始めたが、尾方は一向に酔う気配がない。蒔田と白木の死に関して、新たな情報が奴の口から洩れることもなさそうだった。

<わずかな違和感>

 そのうち、話題は尾方とジャイーの再会のいきさつに移ったが、夫婦は特に隠す様子も見せなかった。尾方とコンタクトをとろうと、ジャイーが必死になって探していたというのも想像通りだった。熱を上げていたのはジャイーのほうだと、たびたび耳にしていた。

 2人のロマンスをこれ以上、聞いても仕方ない。ジャイーの手料理も十分、堪能させてもらったので、このあたりでおいとまさせてもらうことにした。「もう少し飲まれませんか」と尾方が引きとめるのを、丁重に断った。

「下川さんやチーム小倉のみなさんとは今後も同業者同士、いいおつきあいをさせてもらえたらありがたい。僕もそろそろ仕事を始めようと思っているので、いろいろアドバイスしてください。塀の中に4年も入っていたので、浦島太郎なんです。普段から情報交換していれば、安井会グループ乗っ取りのときのように鉢合わせして、下川さんと僕が争うような悲劇は避けられる。末永く、よろしくお願いします」

 尾方の態度は終始、そつがなかった。部屋をあとにして新宿通りに出ると、湯本がポツリとつぶやいた。

「理路整然としすぎているな」

 私も同じことを感じていた。
(つづく)




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