【医療ミステリー】 裏切りのメス─第5回─
【前回までのあらすじ】
医療コンサルタントとして活躍していた下川亨は、詐欺で訴えられ東京拘置所に収監された。退屈な拘置所生活の中で思いがけず、天才外科医・吉元竜馬を見かけ声をかけた。時代の寵児がなぜ拘置所にいるのか。「教授にはめられたんです」、彼はそう呟いたのだった。
陰謀渦巻く病院ビジネスを舞台とした【医療ミステリー】連載。毎週火曜日更新!
-著者プロフィール-
●田中幾太郎/ジャーナリスト
1958年、東京都生まれ。『週刊現代』記者を経てフリー。医療、企業問題を中心に執筆。著書は『本当に良い病院 悪い病院』『三菱財閥最強の秘密』(以上、宝島社新書)、『日本マクドナルドに見るサラリーマン社会の崩壊/本日より時間外・退職金なし』(光文社)ほか多数。
<告白>
「教授が全部仕組んだことなのです」
吉元竜馬がいくら頭脳明晰な外科医だとしても、その推理はいささか荒唐無稽な気がした。脳神経外科の若山悠太郎教授が部下の才能に嫉妬したからといって、逮捕までさせて、その医師人生を滅茶苦茶にしてしまうような暴挙に出るだろうか。ましてや、その悪魔の所業が事実だと認められてしまったら、若山の教授生命も終わってしまうのだ。
どう考えても、吉元が実際に強制わいせつの罪に問われる行動をしてしまったと結論づけるほうが自然である。しかし、私は東京拘置所の運動場で話をするだけの関係ながら、吉元の利用価値の大きさを確信し、彼が無実であると自分に思い込ませようとしていた。うまくいけば、開業医相手の冴えない医療コンサルタントという現状を変えてくれる救世主になるかもしれないのだ。
吉元が事件のあらましと自身の推理を話し終えると、私は憤ってみせた。
「そんなひどい話があっていいはずがない」
打算的な考えによる吉元への同調だったが、彼の語ったことは真実だったのである。ただし、それがわかるのは吉元の有罪が確定し、刑期を終えたあとのことだった。
裁判では、吉元は当然のように自身の潔白を訴えるとともに、若山教授による画策によるものだと主張した。裁判官は罪を逃れるために、被告がありもしない妄想を語っていると思ったようだった。結局、懲役1年の判決が下された。執行猶予はつかなかった。実刑判決を受けても、吉元が控訴することはなかった。弁護士から判決を覆すのは難しく、時間だけを浪費することになると言われたからである。
真相を知るに至ったのは、被害者、崎田美穂の刑事告訴内容を裏づける証言をした看護師の杉本莉緒がそのいきさつをすべて打ち明けたからだ。
暮れも押し迫るころ、刑期を終えた吉元は、栃木県大田原市の刑務所に車で迎えにきた私に、真っ先に杉本の自宅マンションに行くように頼んだ。とにかく、こんな目に遭った理由を確かめなければ、彼の気は収まらなかった。
正午すぎに大田原市を出たのに、東北自動車道の渋滞が長距離に及び、都内の杉本のマンションに着くころにはあたりは真っ暗になっていた。突然の訪問にもかかわらず、杉本はなぜか、すんなり私たちを部屋に迎え入れた。第一声は「ごめんなさい」だった。それほど悪びれている様子は感じられなかった。すでに大学病院は辞めているという。
「僕は君のせいで刑務所に入れられたんだ。そして医師資格まで失った」
性犯罪などで有罪となると多くの場合、医師免許が取り消される。怒りをかみ殺して話す吉元に、杉本は「あなたが思っている通りよ。若山先生、崎田さん、私の3人はグルだった」とあっさり認め、真相を淡々と語り始めた。
<肉体オルグ>
3人とも、新興宗教ヤーヌス教団の信者だった。一番最初に教団に加わったのは杉本だった。看護学校時代、ボランティアサークルに所属。そこのOGに誘われ、教団に入ることになった。
現在70代後半になる教祖の矢田慧はかつて、仏教系新興宗教団体の幹部だった。権力闘争に敗れた矢田はそこを飛び出し、ヤヌース教団を立ち上げた。20世紀から21世紀に変わるころのことだ。ちょうど就職氷河期の真っただ中にあり、社会に不満を持つ学生を中心に信者を増やし、組織を拡大していった。いま見えているのは本当の自分ではなく、奥に隠れている真の自我をさらけだし解放するというのが教義となっている。
「入会1年後、私は組織化グループに配属され、教祖の命令で大学病院に入職することになったのです。私に与えられたミッションは医師を教団に入れることでした」
医療関係者は燃え尽き症候群におちいりやすい。いくら治療を尽くしても命を守ることができない場面に多々ぶつかる。その空しさを埋めるために、宗教に走るケースが少なくないのだ。
医師に狙いを定めたのは、そうした理由に加え、診療を通じて患者を勧誘しやすいというメリットがあったからだ。病院では、医師と患者の間に従属関係が生まれる。患者は医師の言葉に逆らいにくく、洗脳されやすい環境にある。さらには、宗教と医療はオーバーラップする部分が多く、もし医師が主要メンバーに加われば、教団にとって大きなアドバンテージとなるのである。
杉本が大学病院で脳神経外科に配属されなければ、若山が教団に入ることはなかっただろう。教祖の矢田が同医局の陣容を知ると、若山を教団に引き入れることが杉本に課せられた最優先のミッションとなった。天才脳外科医の称号をほしいままにし、40代前半の若さで教授になった若山のカリスマ性は、教団の発展に大きく寄与するに違いないと矢田は踏んだのだ。
「私は組織化グループの中の通称“肉体オルグ”と呼ばれる一員でした。からだを使って男性信者を増やすのが役目だったのです」
杉本は美人というタイプではなく、肉感派でもなかったが、中学高校時代からなぜかよくもてた。同級生だけでなく、上級生や下級生からもラブレターをもらったし、高校2年のときには一時、美術の教師ともつきあっていた。人なつこく、どこか愛らしいのである。教授の若山にも物怖じせず、いろいろ話しかけているうちに男女の関係になった。
「若山先生が51歳、私が24歳のときでした。先生には同年齢の夫人がいたのですが、子どもはなく、夫婦関係も冷え切っていた。そうした心のすき間に、私が入り込んでいったのです」
<籠絡された天才>
逢瀬を重ねるようになって半年近くがたったころ、杉本は思い切って教団に入っていることを明かした。
「まだ早すぎるかと思ったのですが、事実を隠したまま、だらだらと関係を続けるのが申し訳ない気がしてきたのです。教団の信者獲得のために近づいたと知って若山先生が怒るのなら、それはそれで仕方ないと──」
彼女は若山のことを愛し始めていたのだ。そのせいで勧誘が失敗し、教祖から背信行為だと責められてもかまわないと考えていた。教団を辞める覚悟もできていた。ところが、そうはならなかった。
「若山先生がどんな教団なのか興味を持ち、教祖と会わせてくれ言い出したのです。実際に面談すれば、教祖の巧みな話術にはまるのは容易に想像できましたが、私に止める力はなかった」
こう言って、杉本は少し悔恨の表情を見せた。
若山がいとも簡単に新興宗教の誘惑に落ちたのは、そのころの精神状態も影響していた。脳外科の手術はときに20時間近くに及ぶ。50代となった若山は年齢的にメスを握る回数を減らす時期がきていた。それは本人もわかっていたが、その一方でまだ全盛期と同じようにできるという思いもあった。逡巡しながらも、以前と同じペースで執刀医として手術室に立ち続けていた。
そんなとき、若山は大きなミスを犯す。くも膜下出血の患者が運び込まれ、若山が執刀。これまで何百回も手がけてきたネッククリッピング術による手術を行ったが、内頚動脈を傷つけてしまい、患者は死亡した。脳動脈瘤が深部にあり、決して易しい手術ではなかったが、神の手とうたわれた外科医が失敗するようなレベルのものではなかった。
だが、若山の執刀が問題になることはなかった。側にいた介助医たちですら、何が起こっていたのか察知していなかったのだ。「若山先生が執刀してもダメだったということは、すでに手遅れだったのだろう」と誰もが思ったのである。
ミスにこの時点で気づいていたのは若山本人、ただひとりだった。自身の衰えを痛感した若山は以降、執刀する回数を大幅に減らした。
遺族が問題にすることはなかったが、若山の手術ミスをのちに知る人物がもうひとりいた。看護師の杉本だ。
「日曜日の教授室に2人だけでいるとき、苦しそうな顔で告白したのです。それが私にはうれしかった。愛されていると実感できたからです。でも、教団に引き込んだことは後悔しています。結果的に、若山先生の邪悪な心を引っ張り出すことになってしまったからです」
(つづく)