中国から見た香港デモ問題 -愛国心に駆られて政府を支持する中国人の心理とは?-
香港の民主派デモが泥沼化の様相を見せる中、世界中が香港政府、そしてその裏にいる市民たちに声援を送っている。それに対し、中国サイドの報道は「分離活動は許さない」、「アメリカに操られたテロ分子たちは即刻暴力行為をやめよ」の一点張り。
欧米諸国や日本の人々はきっとこんな風に思っているだろう。中国は鉄壁の情報統制が敷かれているから、人民たちは香港で今起きていることを知らないに違いない。心の中では民主化を望む香港市民たちに、共感を覚えているに違いない、と。
残念ながら、それは違う。
中国では政府の報道をまともに信じている人は確かに少ない。少ないながらも香港市民に同情を寄せる人とていないわけではないだろう。しかし、ことこのテーマに関しては、中国の大多数の人々は政府のプロパガンダに対して意外なほどに同調する。香港のデモに向けられる人民の目は、我々日本人が想像する以上に冷ややかなのである。
なんでそんなことになるのか、ここでは筆者なりの分析を述べてみたい。
中国人にとって香港問題は
ナショナリズムを刺激する
まず第一に、中国本土の人々にとって「香港は中華人民共和国の不可分の領土である」という揺るぎない意識がある。近代中国の凋落は1840年のアヘン戦争に始まり、香港は西欧列強に領土を奪われた最初の地、なんていう理屈を抜きにしても中国人にとって領土が絡んだ話は否応なしに愛国心を掻き立てられる。
14億の民は香港・マカオ・チベット・ウイグルや、さらには台湾までも中華の地と考える。
ゆえに独立までをも望む人々の行動は分離活動として映る。実際に欧米諸国が裏で手を回しているかどうかは別にして、デモ隊寄りの報道をする欧米メディアを、中国の人々もこの時ばかりは敵視するというわけだ。
また、香港と中国大陸部の人々の埋めがたい意識の差が存在することも大きい。香港人は中国人を「田舎者」と馬鹿にする。逆に、中国人は香港人に対して「普通語(マンダリン)もろくに喋れない銭ゲバのすかした奴ら」という認識を少なからず持っている。
日本人からすると北京人も上海人も、また香港人であろうがお金にシビアな人たちに変わりはないのだが「北京愛国、上海出国、広東売国」という言葉もあるように、北京の人々に言わせると上海人や広東人(香港含む)は政治意識が足りない、というか金のことしか頭にないという意識があるようだ。
「金持ち喧嘩せず」とはよく言ったもので、中国の富裕層の間ではそういう意識はもはや希薄になっている。むしろ、今日の中国大陸には香港人とは比べ物にならないほどの成金が存在する。
しかし地を這うように暮らす大多数の中国人たちにとって、香港人は同じ中華民族でありながら生まれながらに恵まれた経済&生活環境を持った特権階級に見えるのだ。
中国大陸部で民主派は
ほぼ根絶やしに近い状態
香港人の自由を求める声すらも、言論や集会、信教の自由が無いに等しい中国人からしたら「何が不満なんだ?」という話になる。
普通選挙を求めて香港市民が立ち上がった雨傘革命とて、制限選挙とはいえ選挙があるだけマシだろう、というか、イギリス植民地時代は政府のトップを選べなかったのに「なんでその時は大規模デモをしなかったのかね?」という反論になる。
当然ながら、中国人だって心の奥底では真の民主化を求める気持ちは持っている。しかし、度重なる弾圧で中国本土の民主派というものはほぼ根絶やしにされている。同じく激しい弾圧を受けているチベットやウイグルの独立派が今でも存在し、中国政府に邪教認定された法輪功ですら今でも国内で地下活動があり、首都北京ですら教えを広めるチラシがポスティングされていたりとしぶとく生き残っている中で、共産党打倒を訴えるほど過激な民主派は中国ではまず見かけることはない。
これは裏返せばそれだけ中国が民主派を恐れているということだろう。
それゆえに中国人民と香港市民の連帯というものは、夢のまた夢ということになる。「なんと薄情な」と思われる方もいるだろう。
しかし、日本でも似たような事例はある。ひとつの例が沖縄だ。
中国人と香港人の間にある
絶望的なまでの意識の差
さすがに日本は民主国家、沖縄で今起きているさまざまな揉め事に対して、同情を寄せる人は少なくない。しかし、大半の人の意識はこんな風であるはずだ。国土面積のうち0.6%に過ぎない沖縄に米軍基地の約7割が集中している。もちろんよくないことだが、戦略上重要な場所ゆえやむを得ない。でも、沖縄の人からしたら「同じ日本人だろう」という切実な訴えがあるわけだ。
中国人と香港人の意識の差は、東京都民と沖縄県民の比ではない。世界の人々が期待する中国本土の学生や開明的な人々による呼応はまず起こらないし、起きたとしてもあっという間に当局に押さえつけられて終わるだろう。
少なくとも、中国人民を巻き込む大きなうねりになることはないとみている。
中国には数々の「前科」がある
中国共産党は、自国の統治を揺るがすものに対しては徹底した措置を取るという鋼の意志を持つ。人民解放軍もしくは本土の武装警察が介入し「天安門の再来となるのでは…」と言われながら、大半の人々はそこまではしないだろうと高をくくっているフシがある。
実際、現段階ではそこまではしないだろうが、中国には「前科」があるゆえ100%ないとは言い切れない怖さがある。
「前科」といえば、中国など共産圏の国がよくやる手として、世界的な大イベントのどさくさにまぎれてどえらいことをしでかすというものがある。中国が初の核実験を敢行したのは1964年、東京オリンピックの開催中だった。
今時点の読みとして、まず10月1日の中国建国70周年までは世界を揺るがす揉め事は起こしたくないという意識が中国にあるだろうし、また米中経済貿易協議が、お互いを罵り合いながらも一応続いているうちは下手に動いて相手に交渉カードを渡したくないという思いもあるだろう。
それに来年1月の台湾総統選挙までは、武力を伴うデモ弾圧は台湾世論への悪影響が大きすぎるため自制が効くのではなかろうか。
むろん中国はやるといったらやる国だけにこれらはあくまで想像でしかない。中国が望んでいるシナリオは、搦め手でデモの勢いを削いでなんとなく沈静化させる方向だろうが、2020年までコトが続いた場合、再びの東京オリンピック開催期間中に天安門の再来…などということもありえない話ではない。
民主国家に生きる日本人としては、これ以上の流血の事態が起こらないことを、そして香港の人々が望む自由が少しでも叶えられることを祈るばかりである。
<執筆者プロフィール>
もがき三太郎
日本の出版業界で雑誌編集者として働いていたが、やがて趣味と実益を兼ねた海外風俗遊びがライフワークとなる。現在は中国を拠点に、アジア諸国と日本を行き来しながら様々なメディアに社会問題からドラッグ事情まで、硬軟織り交ぜたリアルなルポを寄稿している。
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