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【医療ミステリー】裏切りのメス―第22回―

【前回までのあらすじ】
 「安井会グループ」安井芳次理事長の説得に成功し、「HOグループ」との交渉を断念させた病院再建屋集団「チーム小倉」。さっそく「安井会グループ」の各病院を視察し、最新の設備など環境の良さに経営再建への道筋をみつけた「チーム小倉」の面々。そんな時、協力者の埼玉県警・湯本利晴刑事から「安井がやられた」との連絡が入った。
 陰謀渦巻く病院ビジネスを舞台とした【医療ミステリー】連載。毎週火曜日更新!
-著者プロフィール-
●田中幾太郎/ジャーナリスト
1958年、東京都生まれ。『週刊現代』記者を経てフリー。医療、企業問題を中心に執筆。著書は『本当に良い病院 悪い病院』『三菱財閥最強の秘密』(以上、宝島社新書)、『日本マクドナルドに見るサラリーマン社会の崩壊/本日より時間外・退職金なし』(光文社)ほか多数。


<安井の手術に臨む天才外科医>

「安井がゴルフクラブで頭を殴られた。意識がないんだ」

 湯本利晴刑事の声は明らかに動揺していた。

「どこにいるんですか」

「熊谷のゴルフ場です。救急車がまもなく来ると思う」

「でしたら、いま私たちがいる安井中央病院に救急車を寄越してください。日曜日の昼前ですから道は混んでいないだろうし、そこからなら20分あれば着くでしょう。状況はよくわかりませんが、まずは到着してからです。こちらには優秀な外科医もいますから」

 携帯を切ると、チーム小倉のメンバーたちに「緊急事態だ」と告げた。私たちは埼玉県北部にある安井会グループの中核、安井中央病院の理事長室で会議の真っ最中だった。

「くわしいことはわからないが、安井が襲われて頭に大怪我を負ったらしい。意識もないということだ」

 一瞬、静寂が流れた。1週間前に安井芳次が病院乗っ取り屋の尾方肇との約束を蹴って、元々の交渉相手であるチーム小倉に乗り換えた時点で、こうなる可能性はあるかもしれないと、誰もが感じていた。湯本は安井の身の安全は自分が守ると言っていたのだが……。

「襲ったのがどんな奴かはまだ聞いていないんです。とにかく、いま安井がこちらの病院に運ばれてきます。小倉先生、治療をお願いできますか。場合によっては、手術が必要になるかもしれません」

 小倉明俊になりすましている吉元竜馬は日本で五本の指に入る天才脳外科医だ。

「1年半近く、メスを握ってないからな。大丈夫かな」

 とまどいを見せながらも、吉元の顔はどこかはしゃいでいるように映った。やはり、外科の申し子なのだ。拘置所と刑務所に1年間入れられていた吉元は、手術現場の緊張感を得たくてうずうずしていたに違いない。

 安井の様子を見てからでないと、手術が必要かどうかはわからないが、その準備だけはしておかなければならない。吉元は蒔田直也に救命病棟に行って、助手が務まりそうな外科医と麻酔科医を連れてくるように頼んだ。

 まだ、病院スタッフに対するあいさつはすんでいないが、3日前、小倉明俊を病院長(安井会理事長兼任)、蒔田を事務長、佐久間君代を看護部長に任命する辞令が病院内に掲示された。まだ、顔を知られていない蒔田が突然、救命病棟に行っても不審がられるのではと心配したが、5分後にはちゃんと外科医1人と麻酔科医1人を伴って戻ってきた。蒔田の口の巧さと人当たりの良さは、ここでも威力を発揮した。

「もうひとり連れてきたかったんですが、手が空いている外科医はいなかった。今日は日曜日なので、出勤している外科医は限られているんです」

「いや、これで十分だ。あとは看護師だが」

 吉元の言葉にすかさず佐久間が反応した。

「私でいいでしょうか。一応、オペナースを務めていたこともあります」

<安井襲撃事件の全容>

 陣容は整った。予想した通り、20分ほどで救急車が救命病棟の入口に着いた。吉元は安井の様子を確認したあと、「外傷性脳内血腫だな。手術が必要だ。脳ヘルニアを起こしていなければいいんだが」と言った。安井のからだはすぐに手術室に移された。

 救急車到着から40分ほどたったころ、湯本刑事が姿を見せた。

「いま、安井は手術中です。今回、安井会の理事長に就いたうちの小倉明俊が執刀しています」

 湯本が「脳神経外科の先生ですか」と聞いてきた。嫌なところを突いてくる質問だなと内心思いながら、「元々は肝胆膵外科が専門なのですが、手技が優れていて、何でも出来るオールラウンダーなんです」と答えた。

 本物の小倉明俊は3週間前に東京・山谷で亡くなり、身元不明の遺体として処理されていた。この小倉が本当にオールラウンダーだったかどうかは定かではないが、吉元が小倉と名乗っている以上、こう言い通すしかない。湯本が小倉明俊という外科医のプロフィールに興味を持たないとは限らないのだ。

 となると、小倉のことを脳外科医だと言ってはまずい。調べれば、矛盾点がいくつも出てきてしまう。あくまでも、「脳の手術もできる肝胆膵外科医」で通すしかないのだ。それにしては、いま執刀している医師の技術はあまりにも高すぎるのだが……。

 湯本は「僕が付いていながら、こんなことになるとは情けない」と言いながら、ゴルフ場で何があったのかを話し始めた。

「安井がゴルフに行きたいと言い出したので、護衛がしにくいからと止めたんですがね。先週の日曜日、尾方肇とのゴルフをキャンセルさせてしまいましたから、そう強くも言えず、結局、こちらが折れるしかなかった。僕も一緒にラウンドすることを条件に、コースに出たんです」

 競技形式は3人でまわるスリーサム。安井、湯本、そしてもうひとりは、私によく情報を提供してくれる安井のゴルフ仲間の開業医が加わった。

「安井と開業医の2人は握って(賭けて)いたようでした。事件が起きたのは7番ホールです。安井の打った球はOBがある森の中に飛んでいったように見えた。何を思ったか、安井は間髪入れずサンドウェッジを持って、63歳とは思えないスピードで森のほうに駆け出していったんです」

 安井はインチキをするために走ったのだ。OBゾーンから手で玉を出し、罰打も受けずに何食わぬ顔でそのままプレーを続けるのである。開業医は「いつものことです」と苦笑したが、湯本にその言葉を聞いている余裕はなかった。悪い予感がして、すぐに安井を追いかけた。すると、森の中で倒れている安井を見つけたのだった。

「その間、2分足らず。犯人はずっと我々をつけ、機会をうかがっていたんだと思います。そして、自分の近くに来た安井からサンドウェッジを奪い、頭に振り落としたのでしょう。つけられていることに気づかなかった僕が馬鹿でした」

「犯人はわかったのですか」

「安井が倒れている場所に着いたときには誰もいませんでしたが、前方100mほどのところを走り去っていく男を見ました。安井の救助が先なので、追いかけるわけにはいきませんでしたが、犯人の目星はついています」

<尾方関与を確信>

 ここでいったん話は中断した。小倉明俊こと吉元たちが手術室から出てきたからだ。吉元は右手の親指を上に突き出し、成功したというジェスチャーをした。彼らが手術室に入って1時間半しかたっていない。

「いやー、疲れた」と吉元は伸びをして見せたが、言葉とは裏腹に涼しい顔をしていた。

「さすが、小倉先生です。見事でしたよ」

 佐久間の称賛に少し照れながらも、吉元は「思ったより、安井の頭の状態は悪くなかったからね」と、これぐらいの手術はできて当然という口ぶりだった。

「やや多めの血腫ができていたけど、脳ヘルニアにはほど遠く、減圧の必要もなかった。だから、開頭もせずに、頭に小さな穴を開け、血腫を吸い出すだけですんだんだ」

「安井の状態はどうですか」と湯本刑事がたずねた。

「いまは麻酔が効いているが、2時間もすれば、意識を取り戻すでしょう。後遺症も出てこないと思うので、リハビリもほとんど必要ない。2週間で普通の生活に戻れるはずです」

 チーム小倉のメンバーと湯本をうながし、理事長室で現状の確認と今後を話し合うことにした。吉元と佐久間が湯本と顔を合わせるのはこの日が初めてだったので、改めてあいさつをして、それぞれが自己紹介をした。他人を演じなければならない吉元も、その立場に慣れてきたのか、ぼろを出すようなことはなかった。

「先ほどの話の続きですが、湯本さん、犯人の目星がついたって、誰なんですか、それは」

「遠目で見ただけだけど、そいつが走りながらちらっと後ろを振り向いたとき、どこかで会った奴だと気がついたんです。しばらくして、鹿間凌という名前を思い出した。まだ20代前半のはずです。数年前に詐欺と恐喝で逮捕したことがあって、まだ未成年だったので結局、少年院に入ったんですが、かなりのワルだったと記憶しています」

「そんな男がなぜ、安井を襲ったんですか」

「僕も署に連絡して、さっき知ったんですが、少年院を出所してから、鈴代組とかかわるようになったというんです。最近はどこの暴力団も組員のなり手がおらず、リクルートに精を出している。その網に引っかかったんでしょうね。鹿間は現在、鈴代組の準構成員になっているそうです。推測ですが、安井をやれば、幹部に取り立ててやるとでも言われたのでしょう」

「なるほど――。ということは、確実に尾方が一枚、噛んでいますね」

「もちろんです。病院乗っ取りの計画がなければ、安井との接点もないわけですから、襲った動機はすべて尾方によるものです。鹿間はまもなく逮捕されると思いますが、尾方を挙げるのも時間の問題です」

 尾方肇という脅威がなくなれば、未来への青写真を描きやすくなる。チーム小倉にとって、怖ろしいほど事態は好転している。
(つづく)


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