アラサー女が将棋始めてみた 第6回
第6回 ロリババア疑惑
これを書いている人間は、タイトル通りアラサー女である。
トウの立ちまくった、アラサー女である。
病気でなかったら(わたしは統合失調症である)「まだ結婚しないの」とセクハラされる年頃の、トウの立ったアラサー女である。
同級生が次々結婚していくのを、「むぎぎ……!」と思いながらフェイスブックを見ているアラサー女である。
いちおう、将棋道場にはノーメイクで行くのは恥ずかしいので、それなりに化粧をしていく。若さですっぴんをごまかせる歳ではないからである。
スカートを穿くならストッキングやタイツを穿く。だってアラサー女の生足なぞ見て嬉しいひとなどいるだろうか。いないと思う。
髪だって、20代前半はヘンテコな色に染めていたけれど、さすがに無理があるので黒髪に戻した。つつましく、ファッションで冒険はしないようにしている。服装は、だいたいブラウスにスカートとか、Tシャツにユニクロのストレッチパンツ、みたいな感じである。
特にファッション雑誌を読むわけでないので、流行にあまり左右されないようないでたちでいることが多い。それに仮にファッション雑誌を読んだところで、田舎では流行りのブランド服なんて買えないのだ。
そんな、大人しいかっこうで大人しい化粧と髪型のわたしであるが、どうやら公民館に集まるおじさんたちには「中学生か高校生」に見えていたらしい。
それに気付いたのは、将棋道場や大会を開いている将棋連盟の支部の公式ホームページに、「更新大会のお知らせ」が載ったときである。地元の支部は機械の苦手そうなおじさんばかりだがホームページがいちおうある。大会のお知らせや、道場の開催日などが載せられている。
更新大会というのは要するに会費を支払う会だ。その前の週に、小学生の子らが会費を納めていたので、
「わたしも支払えばいいですか?」
と、よく事務作業をしているおじさんを捕まえて訊いたところ、
「いらないよー学生さんでしょー」
と言われたのだ。
そのとき、「んん?」と思ったが、訂正する雰囲気でなかったので口には出さなかった。
しばらくして、別の機会に「中学生でしょ?」みたいなことを訊かれて、
「まさかあ」
と答えたところ、「あ、高校生だった?」と言われたのである。びっくりした。そんな十年以上間違われるなんて漫画か。漫画のいわゆるロリババアか。お狐様か。ライトノベルの異様に若い母親とか異様に若い先生とかそんな感じか。
女子大生の「やだー未成年にみられたー恥ずかしー」というレベルではない。実年齢より十歳以上若く見られていたのである。むしろ致命的に恥ずかしいことではあるまいか。
お肌の曲がり角を直角に曲がっていて十代のようなぴちぴちした肌ではなくなっているし、どこからどう見たっておばさん一歩手前のはずなのに、これはどうしたことか。
「とんでもないもうすぐ三十ですよ」
と答えたところ、おじさんたちは女の年齢というのにそれほど興味はないらしく、
「そうだったの?」
くらいで済んでしまった。将棋が指せれば年齢など関係ないようだ。
それでわたしが学生であるというおじさんたちの誤解は解けたわけだが、年齢を言ってもとりあえず会費はいらないと言われてしまったので、行くのは例会の日を避けて道場の日だけにしている。
例会は会費を納めているおじさんたちが真剣勝負をする日だからだ。別に来ても構わないといわれたものの、おじさんたちだって真剣勝負をしたいだろうと思うのである。
わたしに指導してくださるときの支部長さんも、「うーん指す手がないなあ」とか、「こういうことを教えて実際にやられると困る……と」とか、とても落ち着いた印象だけれど、それはわたしを「育てたい」という気持ちからだろう。けれどその一方できっと「戦いたい」とも思っておられるだろうと思うからだ。
なぜそう思うのかというと、別の人と指しているときの支部長さんは、「わかんねーなー!」「読めねーなー!」と愉快そうに言いながらチェスクロックを叩いていて、その様子が本当に楽しそうだからだ。おじさん同士の勝負をしている支部長さんは、とにかく嬉しそうで楽しそうなのである。
それで、「育てたい」というのが理由なのか、はたまた子供に見えたからなのかはわからないが、よく「子供将棋大会の景品やおやつの余り」みたいなものをもらう。ある日は乳酸菌タブレット、ある日は梅グミ、ある日はディズニーの文房具セット、またある日は謎のイケメンキャラのクリアファイルと、いただくもののバラエティは多岐にわたる。
ただ、ぬいぐるみのキーホルダーを大量に展開されて、「好きなの持ってっていいよ!」といわれたときは、「さすがにそういうのカバンにつけてていい歳じゃないんで……」と言って遠慮した。
よくものをくれるおじさんは、
「はい勝利者賞」
といってそういうものをくれる。
勝利者賞といわれても、いつも通りただ勝たせていただいただけなのだが、まあ乳酸菌タブレットも梅グミもおいしかったし、文房具セットやイケメンキャラのクリアファイルは母に渡した。子供だと思われていたのは驚きだったが、それでもそのおじさんにすれば、楽しいと思ってほしいと考えてそうしたのだろう。
あと、もらうわけではないのだが、詰将棋の本をよく貸していただく。
やっぱり若い人に将棋を好きになってもらう、というのがおじさんたちが一番願っていることなのではないだろうか。わたしはそんなに若くないけれど。
貸していただく詰将棋の本は、将棋雑誌の付録だったり、ふつうの書籍だったりするのだが、要するに返すためにまた来てほしいということなのだろうなと思っている。借りたら次の道場の日まで、繰り返せるかぎり繰り返して読み、何度も考えることにしている。
強くなることが、おじさんたちに尽くせる最大のお礼だと思う。こんなによくしてもらって、いつまでもただのヘボでいたら、勇気を出して道場に行ってみた意味がないし、おじさんたちもきっとわたしに強くなってほしいと思っているのではあるまいか。
あるとき、久しぶりだというおじさんがやってきたときも、常連おじさんはわたしのことを、「強いよー熱心に通ってらもの」と紹介したのだ。
わたしは2017年の11月からほぼ毎回、公民館の将棋道場に行っているのだが、びっくりするほどノロノロした速度でしか上達していない。そんなわたしを、「強いよー」と言ったのは常連おじさんの冗談だろうけれど、なんとなく嬉しかった。
それに、別のおじさんに、
「負けるつもりで来ちゃだめだど。勝つぞ、って思って指さねばだめだ」
と言われたときも、この人たちは後に続く人を育てたいのだな、と思った。
おじさんたちが「のちに続く人を育てたい」と思っているいま、将棋はとても流行っている。
クリスマスシーズンにはスーパーマーケットのクリスマス商品の棚に将棋セットが置かれるようになったし、地元のショッピングセンターのおもちゃ売り場には駒に動ける方向の書いてある、藤井聡太さんも子供のころ使っていたというスタディ将棋が置かれていた。子供向け、初心者向けの将棋の本も、次々出版されている。
そういう流行りに便乗して、三十を前にして将棋を始めたわけだが、一歩踏み出すと思いもよらない景色が広がっていた。
まさかこういうふうに、名前もよく知らないおじさんたちと、毎週のように将棋を指すなんて、ちょっと前の自分から見たらびっくりするほかない。わたしは中学生のころから人間の苦手なオタクだったからである。
そんなオタク女が加藤一二三先生を見て突如将棋を覚えたくなるというのはやはり不思議なことなのだけれど、公民館にやってくるおじさんたちは、中学生や高校生に将棋を教えるのと同じ感覚で、そんなミーハー女にも接してくださる。とても嬉しいことだ。本当に中学生だと思われていたというのはともかく。
おじさんたちは、年齢関係なく、新しく将棋を好きになるひとが増えるのを願っているのだ。だから私も、もっと強くなって、将棋をもっと好きになりたい。
Profile/金澤流都(かねざわるつ)
平成ヒトケタ生まれ。統合失調症を拾い高校を中退。その後ほんのちょっとアルバイトをしただけで、いまはライトノベル新人賞への投稿をしながら無職の暮らしをしている。両親と猫と暮らしている。
Twitter https://twitter.com/Ruth_Kanezawa