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アラサー女が将棋始めてみた 第8回

第8回 おじさんの名は

 今回は将棋道場に来る人たちが、どんな人たちなのかという話をしたいと思う。

 実をいうと、公民館の将棋道場にやってくる人のなかで、名前を把握できている人物はたったの四人である。しかも、下の名前までとなると二人のみである。

 その下の名前まで知っている二人というのが支部長さんと優しい青年(たぶんわたしよりずっと若い)で、苗字だけ知っているのがお医者様のおじさんと、幹事長さんである。

 支部長さんのフルネームを知っているのは、文化施設のイベントで講師役として紹介されたからで、青年のほうはむちゃくちゃ強くてよく地方紙に将棋大会で優勝したなどと載っているからである。

 だから、第3回に登場した純文学のおじいさんも、第2回の詰将棋過激派のおじさんも、第6回でさらっと書いた勝利者賞のおじさんの名前もわからないし、よく相手をしてもらうほかのおじさんたちの名前も知らない。

 というかおじさんたちもあまり他人の名前に興味がないらしく、「金澤です」と名乗った三分後に「タケダさん」と言われたこともある。

 盤を挟めばだれでも対等だから、名前などというのはそんなに重要なことでないのだろう。

 さて、そもそも、この将棋道場というのは「日本将棋連盟ナントカ支部」(ナントカの部分は地名である。さすがに身バレするのは困るので伏せさせてもらった)というのが開催していて、支部長さん、というのはナントカ支部の支部長である、ということである。支部長さんなので、当然強い。たしかアマ四段である。

 支部長さんはだいたいいつでも早い時間にやってきて、若者や強いおじさんたちと楽しそうに指しておられる。道場はいつも行けば三人か四人くらい集まっていて、みなさんチェスクロックをばんばん叩いている。チェスクロックというのは対局の持ち時間を示す時計だ。

 しかしある初夏の日、やたら集まりの悪い日があった。行ったら一人で、あとからIT担当のお兄さんがやってきた。このIT担当のお兄さんというのはおじさんというには若く、そしてコンピュータに強いらしい。支部のスケジュールが載っているホームページはこの人が開設した。

 お兄さんと10分ばかり待ったろうか、支部長さんもなかなか来ない。なぜだろうかと考えて、わたしの住んでいるところは米どころなので、もしかして集まりが悪い理由は田植えかなと、その日の晴れた空を見て思い至った。おじさんたちの中には少なからず農業をしている人もいるだろうと思ったのである。もちろん、定年退職して悠々自適……という人もいるだろうが。

 二人きりという気まずさもあって、わたしはIT担当のお兄さんに、
「きょうみなさん田植えですかね?」
 と聞いてみた。すると、
「うーん。それもありそうだけど昨日は県大会だったからなあ」
 という返事が返ってきた。前日は雨で列車が止まったとニュースになっていた。県大会となると列車か車で県都まで行くことになるわけだが、雨は大丈夫だったのか心配になった。

 それからしばらく経って支部長さんがやってきて、
「いやあ、昨日はひどかった。行きの列車は停まる前でよかったんだけど……帰りの列車が停まっちゃって、代行輸送のバスの乗客が集まらなくて、バスがなかなか出なくて帰ってくるのに四時間かかった」
 などと言って、支部長さんは疲れた顔をしてそう笑い飛ばした。

 将棋道場があるのは県都まで列車にせよ車にせよ二時間かかる僻地である。それこそバスが止まったら半日は待ちぼうけである。昔はそれなりに鉱山とかで栄えたそうだがいまはなんにもない田舎である。仕事の口も都会ほどバリエーションはない。定年退職したおじさんができる仕事というのは限られているし、高卒で就職した友達はほとんどが工場勤めだった。

 そういうへんぴなところなので、新しく建物が建つとなるとだいたい高齢者施設か葬祭センターといった塩梅だ。若者が面白いと思う店なんて建たないし、高齢者施設も葬祭センターも、建ちすぎて競争が激しく、建ったそばから次々潰れていく。

 でもそういう、すたれていくばかりの田舎に、人と顔を合わせて将棋を指せる場所があるというのはすごいことだ。それが将棋という競技の底力なのだろう。

 都会ならいくらでも将棋教室やカルチャースクールなんかがあるだろうけれど、郊外に出れば田んぼしかない田舎にも、将棋が好きでアマチュア段位をもっているおじさんたちがたくさんいるのである。それも名前を覚えきれないほど、である。

 駒落ちで指してもらって、そのあとみっちりいろいろなことを教えていただけるというのは、上手い人と顔を合わせて指すからできることだ。

 おじさんたちは強い。それは将棋が好きで好きで仕方がないからだ。他人の指している盤をみて「これ七手で詰みでねが」と、ほとんどのおじさんが瞬時に理解するほど、このおじさんたちは将棋が好きなのだ。

 ミーハー女が相手でも、きちんと教えてくださって、うまくなればよろこんでくださるというのは、ミーハー女本人もうれしいことだ。

 わたしは公民館に集まるおじさんたち本人の目線で見ることはできないけれど、「なんでなのかよく分からないけどまめに通って駒落ちを勉強している人がいる」というのは、育てたい人たちとしても嬉しいのではないかと想像する。

 もしかしたら「真剣勝負をしに来たのに、またあのもっさりした人が来て駒落ちの勉強をしたがっている」と思っているかもしれないが、おじさんたちはそういうことを口に出さない。それはきっと、おじさんたちも駒落ちで誰かに育ててもらったからではないだろうか。

支部長さんと指していると、わたしが一手指すごとに
「うんうん」
 とか、
「そういう手もある」
 とかそういうことをつぶやかれる。それを聞くたび、ああ勉強が生きているのだと嬉しくなる。
 そして指していると唐突に、
「この銀をタダ取りされないためにはどうするかな」
 と問題を出してくることもある。そしてたいがい見当違いの手を指してしまう。そのうえでその問題の正答を聞くとものすごく簡単な手でものすごくびっくりすることがよくある。

 だから、なんとなくすっと歩をついたら「そういうことに気付くだけ上手くなった」と変な褒められ方をしたこともある。

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 支部長さんにかぎらず、おじさんたちは(そして驚いたことに若者も)褒めるのが好きだ。

 ときどき全力で指してきてわたしをコテンパンにのしていくおじさんもいるが、感想戦を始めれば「こういうときはこういう手を指すといいんだよ」というようなことを教えてくださる。

 わたしをボッコボコにやっつけたおじさんも、「ちゃんと相手がなにを指したか見ておけば、もしかしたら王手飛車取りのチャンスもあるかもしれないよ?」と、わたしが相手の指し手をあまり見ていないという問題点を指摘してくださった(駒落ちなんで上手に飛車がいないんですけど……と思ったが口には出さなかった)。

 わたしはこのおじさんたちがいることを当たり前だと思ってしまっているけれど、おじさんたちも一人一人が人間であるということを忘れてはいけないと強く思う。

 ある常連のおじさんが数か月来なかったことがあった。久しぶりに来たそのおじさんは、

「女房の母親が亡くなって、その葬式とか法事とかで」とおっしゃった。そして、心底楽しそうに将棋を指されていた。

 そうだ、このおじさんたちは将棋アプリのCPUではない。おじさんたちにも都合があり、家族があり、人生がある。おじさんたちは人生の一部を、将棋を指し、将棋を勉強し、将棋好きを増やすということに使っているだけなのだ。

 その人生の一部に向き合うのだから、わたしもそれに人生の一部をもって答えねばならない。強くならねばならないと、そう思うのだった。

イラスト:真藤ハル

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アラサー女が将棋始めてみた 第7回

Profile/金澤流都(かねざわるつ)
平成ヒトケタ生まれ。統合失調症を拾い高校を中退。その後ほんのちょっとアルバイトをしただけで、いまはライトノベル新人賞への投稿をしながら無職の暮らしをしている。両親と猫と暮らしている。
Twitter https://twitter.com/Ruth_Kanezawa

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