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アラサー女が将棋始めてみた 第9回


 今回は、初めてプロ棋士というものを見た時の話をしようと思う。それは指導対局というものであった。

 その日家を出て、自販機でジュースを買っていると、公民館のほうから男の子が二人やってきて、その男の子たちは大声でプロ棋士がどうのこうのという会話をしていた。それだけで、「おお……わたしの地元にプロ棋士の先生が来ている……!」と思った。

 場所はいつもの公民館の、いつもの蒸し暑い和室……ではなく、冷房の効いた部屋。子供将棋大会のあとの子供さん向けの指導対局だった。なので会場はキッズやヤングマンがたくさんいて、冷房が効いていたのにすごい熱気だった。わたしはといえば、「おお……プロ棋士の先生と同じ空気を吸っている……!」としみじみ思ったのだが、案の定子供向けだったのでそっと逃げようとした。しかし支部長さんがプロ棋士の先生に「こういうひとが来ますので」と伝えてくださったらしく、「じゃあ六枚落ちで」と、わたしも指導対局を受けられることになった。

 指導対局は四面指しで、まとめて四人が相手をしてもらって、勝負がついたら次の人に入れ替わる仕組みだった。隣では小学生くらいのキッズや高校生くらいのヤングマンたちが二枚落ちとか四枚落ちで熱心に教わっていて、アラサー女はただただドキドキしていた。

 本当にここにいてよいのだろうか。これって子供さんのためのものではないだろうか。

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 それでも指導対局は始まってしまった。腹をくくって、1筋突破の定跡を試してみると、プロ棋士の先生はおじさんたちのよくやるハメ手の2一「王」からの1一「香」ではなく、2一「王」からの1一「歩」というやり方で防御してきた。

 さすがにプロだけあって手心のくわえ方までプロで、こういうときはたしか垂れ歩だ! とやったら「そう、正解です」と言われ、とてもうれしくなった。

 垂れ歩というのは敵陣の少し前に「歩」を打ちこみ、「と金」を作る手のことである。「と金」はもともとは「歩」だが「金」と同じ動きをするので、うまく作れればとてもいい働きをする。しかも、相手が取ってしまえばただの歩に戻るので、こちらの損害も少ない。

 プロ棋士の先生は褒め方までプロで、横ではキッズやヤングマンが「ここに飛車を進めたのがいい手だったね」とか褒められている。褒めている一手一手を覚えているのがまずはすごい。さすが、記憶力が尋常でない。指導対局の相手のキッズやヤングマンの指した手まで覚えているのだから。

 ちなみにわたしの横では支部長さんが指導対局の様子を面白そうに眺めていて、プロ棋士の先生が別のキッズの相手をしている間に小声で「とれるものはとっちゃえばいいんだ」とか、「一間竜だよ一間竜」とか、そういうことをささやいてくるのであった。いつぞやどこかの料亭が不祥事を起こしたときの“ささやき女将”みたいな状態である。ささやき女将が想像に出てくる時点でキッズやヤングマンの群れに混ざっちゃいけないような気がする。

 わたしもささやき支部長さんのアドバイスを聞きつつ頑張って指した。最後に「銀」を打てば一発だったところを「歩」を打ちこんでしまう、という省エネ作戦をしてしまったのが失敗だったろうか。それでもどうにか詰ませることに成功した。

 とにかく指導対局はめちゃくちゃ刺激的で楽しかった。

 プロ棋士の先生のすごいところは、ずばりと「負けました」とおっしゃるところである。ふだん公民館に集まってくるおじさんたちは「こういうふうに詰み。こうやっても詰み。ね?」とか、「これだば負けましたって言わねばねーなぁ」などとボカした投了をするのだが、先生ははっきりと「負けました」とおっしゃって、それから感想戦を始められた。

「もしここで受けたのが歩じゃなくて捕まえた香車だったら逃げ道がなくて飛車がタダ取りされるよね。2一に玉がいたら7八に銀を上がって5六と歩を突いて7九に角を引くと1三に利いてる駒が増えて、こういう手順で突破できるよ」

 悲しいことにアラサーのショボい頭では「こういう手順」まで覚えることができないのであったが、とにかく次2一に「玉」が来たときの対策をひとつ覚えた。

 それから、いちばん驚いたことは、いや当たり前なのだが、プロ棋士の先生が全く訛らないことであった。いままでわたしに将棋を教えてくださる方は、公民館に集まってくるおじさんたちなので、全員だいたいべらっべらに訛っていたからだ。

 標準語で喋るひとに将棋を教わるのは、なんだかとても新鮮でびっくりした。

 なにに感動しているのか我ながらさっぱり分からないが、とにかくプロ棋士の先生というのはすごくエネルギーにあふれていた。

 次々やってくるキッズやヤングマンと、ぱきぱきと将棋を指して、どこがよかったか、なにが悪かったか……そういうことを指導されていた。プロ棋士の先生による指導対局だから当然なのだけれど、その指導はとても的確で、理路整然としていた。

 会場には、子供将棋大会の景品らしいプロ棋士の先生直筆の色紙や、記念の盾などが置かれていた。支部長さんが「せっかく来たんだから」と、わたしに記念品を持たせた。私は「これはお子さんたちが貰うべきでわたしのようなおばさんが貰うものではないのでは」と遠慮したが、結局強引に持たされてしまった。帰って開けてみると中身はお箸だった。

 早々に帰ったけれど、たくさんの驚きで体がはちきれそうだった。

 キッズやヤングマンたちはみなノータイムで次々指していき、頭がやわらかくて回転が速いのを見ているととてもうらやましかった。わたしの頭もあれくらいやわらかで回転がよかったらなあ、と思いつつ、アラサーの脳みそはプロ棋士の先生を前にしても「下手の考え休むに似たり」なのであった。

 会場には、小学生のキッズたちに付き添ってきたであろう奥様方もたくさんいた。

 どちらかと言えば、わたしはそちらに近い年齢なわけだけれど、退屈そうにスマホをいじったり、下の子であろう赤ちゃんの世話をする奥様方を見て、将棋を見てあげればいいのに、という感想を持つに至った。

 当然「お母さん」であれば家事労働や仕事があって、子供の将棋どころではないのだろうけれど、でも子供さんが熱中しているものに一緒に熱中できたら楽しいだろうにな、と思った。子供に将棋の才能があるのを応援するだけでもすごいけれど、せっかくの子供将棋大会なのだから、せめて指しているところくらい見てあげればいいのに、と思った。

 なんだか小学校の作文みたいになってきたけれど、とにかくプロの先生に教わることができるという経験はとても貴重だし、嬉しかったし、楽しかった。

 しかしアラサー女(つまりわたし)は、明らかにそこで浮いていた。化粧をしているから子供じゃないし、子供を連れてきているわけじゃないから大人でもない。謎の人物である。

 実をいうと前の日の土曜日に、新聞に載っていた支部長さんの電話番号を確認して、子供さん向けの指導対局なのではないか、三十前が行ったらまずいのではないかと尋ねたのだけれど、「まあ基本的にそうだけど気にしないでおいでよ」みたいなことを言われていたのであった。

 しかし子供さん向けのイベントに、三十路を前にして自分の年齢を気にせず行くというのは勇気がいる。それでもプロ棋士の先生の指導対局を受けてみたくて、初めて公民館の将棋道場に行ったときとおなじくらい勇気を出して、指導対局に行ったのだった。

 しかし、年齢というものは、趣味においてそう気にするものではないのかもしれない。それに、トウの立った三十前であると支部長さんに言えて、それを笑い飛ばせたのも、なんだか痛快だった。

 キッズやヤングマンに混ざるのは複雑な心境だったけれど、とても楽しかった。プロ棋士の先生という人種がどういうものか、この目で見ることができたのは、かなり貴重な体験だったと思う。

 ちなみに翌日、地方紙を見てみたら、この間のものすごく強い隣町の女子高生がその大会で、主催の新聞社の特別賞をもらったと書かれていた。やっぱりめっちゃ強いんじゃないかよッ! と、新聞を見て唸ったのであった。

イラスト:真藤ハル

アラサー女が将棋始めてみた 第1回

アラサー女が将棋始めてみた 第2回

アラサー女が将棋始めてみた 第3回

アラサー女が将棋始めてみた 第4回

アラサー女が将棋始めてみた 第5回

アラサー女が将棋始めてみた 第6回

アラサー女が将棋始めてみた 第7回

アラサー女が将棋始めてみた 第8回

Profile/金澤流都(かねざわるつ)
平成ヒトケタ生まれ。統合失調症を拾い高校を中退。その後ほんのちょっとアルバイトをしただけで、いまはライトノベル新人賞への投稿をしながら無職の暮らしをしている。両親と猫と暮らしている。
Twitter https://twitter.com/Ruth_Kanezawa

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