アラサー女が将棋始めてみた 第15回
第15回 公民館の暖房事情
今回は、公民館の暖房事情について書こうと思う。わたしの暮らしている場所はだいぶ北国なので、当然公民館の和室にもストーブが備え付けてある。
公民館は、将棋道場をやっている部屋について言えば結構暖かい建物だと思う。
和室の、外側の壁向きに二台、なんの面白みもない四角くてでっかいストーブが置かれている。ストーブの型番をグーグルで調べてみたら、いわゆるFF式石油暖房機、というやつらしい。しかしとにかく面白みのないストーブなのである。クリーム色の外装の几帳面な長方形で、冬になれば淡々と温風を噴き出している。
ちなみに、夏場はいつも太陽の光が入っていて、暑いのに扇風機一台で耐える、というなかなかの地獄である。
公民館のストーブは、事務室から公民館の職員さんに来てもらって操作してもらう決まりになっている。一回の事務室に「ストーブをつけてください」と言いに行って、部屋まで来てもらってストーブをつけてもらうのである。「ストーブにお手を触れないでください」と書かれた紙がストーブに貼られているのも、勝手に操作して、なにか事故が起きたりしないようにするためだろう。ストーブの周りには、「ストーブの上に物を置かないでください」と書かれた貼り紙もしてある。壊れると高くつくのだろうが、だとしても心配しすぎだと思う。
おじさんたちは寒がりなのか、真冬、特に一月や二月は結構な勢いでストーブを焚いてもらっていることが多い気がする。わたしとしては「この部屋暑い……」となるレベルである。広い部屋の隅に長い座卓を二つか三つ出して、そこで将棋を指しているだけ、というにはいささか温めすぎな気がする。
おじさんたちには適温かもしれないが、あんまりあっついので、加藤一二三先生にストーブで過剰に温められてキレた対局相手の先生の気持ちが分かるような気がした。
公民館の和室は簡易的な薄いふすまみたいなやつで仕切られている。だから強力な暖房でないと寒いのだろうが、仕切られた隣の部屋で新舞踊サークルが練習していることがあって、それがまあにぎやかなのである。恐らく音源はカセットテープと思われる演歌が流れてきて、最初に聞いたときは本当にびっくりした。あとで母に歌詞を言うと、「それは都はるみの『好きになった人』という曲だ」とのことだった。インパクトがすごすぎて忘れられないでいる。
また別の日、なにやら時代劇調の曲が流れていたとき、わたしと指してくださっていたおじいさんが、歌にセリフの入るところで「なんだ? 劇団か?」とツッコんでいたのもおかしかった。
隣の部屋と小部屋を隔ててつながったところもあるのだが、そこはドアがだいたい開けっ放しで、隣の部屋との間にある小部屋を将棋道場の備品置き場にしている。
その倉庫の向こう側で健康麻雀が始まったときもあまりにうるさいのでビックリした。ずっとジャラジャラやっていて、思わずなにをしているのか確認してしまった。
隣の部屋で大きな音がするのは集中の邪魔になりそうだが、おじさんたちは案外平気で指している。これが慣れというやつなのだろうか。
さんざん公民館は暖房の効きすぎで暑いと書いたが、11月の24日には暖房がなくてもそれなりに暖かかった。しかし12月に入ったら雪も降ったしさすがに暖房もついているだろう……と思って行った12月最初の道場は、なぜか暖房がついておらず、支部長さんと高校生の少年がジャンパーを着たまま指していて、あとから来たおじさんが「暖房つけませんか? さびぐねすか?」と言いだす寒さだった。暖房費の節約なのか、はたまた事務室に行くのが面倒だったのか、理由はよく分からないが、将棋が楽しくてそれどころじゃないというのは伝わった。
公民館では活動するサークルに暖房費を求めるらしく、冬になると、「暖房費に協力をお願いします」だったか、そんなことを書いた募金箱みたいなやつを置いていて、中には百円玉が入れられている。暖房費はけっこうカツカツのようで、おじさんたちが「暖房費足りる?」とかそういう話をしているのを聞いたこともある。
わたしもいつもお世話になっているのだし、と、募金箱に百円玉を入れようとしたら、「女性と子供さんからはとらないことにしてるから入れなくていいよ」と言われてしまった。
第六回で書いたとおり、わたしは「将棋連盟○○支部」の、会費を納めている正式な会員ではない。それもおじさんたちのご厚意によるもので、とてもありがたく思っているのだが、なにしろ駒落ちで勉強している身である。おじさんたちは「気にしなくていいよ」と言うけれど、タダで将棋を教えてもらって、タダで暖房に温められるのは申し訳ない。
別のおじさんが「あれ? 会員じゃない人からはもらっていいんじゃなかったっけ?」と言っていたので、気にせずカンパしておけばよかったと思った。
ここは北国なので雪も降るし、ひどいときは吹雪で完全にホワイトアウトしてしまったりもするのだが、それでもおじさんたちは律儀に公民館に集まってくる。公民館や隣の文化会館で催し物があって駐車場が満杯でも気にせず集まる。どれだけ将棋が好きなのだろうか。
もしかしたらおじさんたちは日ごろ雪掻きをしながら将棋のことを考えているのではなかろうか。そうしたら頭も体も使えて健康になれそうだ。
以前のんびり指したときにいっぺん遭遇しただけの事態だが、一階の事務室に向かった幹事長さんが戻ってきて、「七時まで延長できましたー」と言っていたことがあった。将棋道場は公民館の入り口のホワイトボードを見る限りでは五時をめどに終わることになっているが、どうやらあのおじさんたちは公民館のOKさえ出れば七時までずっと指しているらしい。そしたら笑点を見逃すし鉄腕DASHを途中から見ることになるではないか……と思ったが、きっとおじさんたちはテレビなんてNHK杯戦とか将棋フォーカス、それからニュースくらいしか見ないのではあるまいか。少なくとも加藤一二三先生を「ひふみん」といじって笑うようなバラエティ番組は見ないんじゃないかという気がする。
テレビといえばずっと書きたくて仕方がなかったことがある。
わりと年配のおじいさんが二人、他愛のないおしゃべりをしていたのだが、
「おめ、あべまてれび(アベマティービーと言えなかったらしい)って知ってらが?」
「いや、知らね」
「ケータイでよ、将棋とか麻雀の中継が見られるんだど」
「ほー! おめケータイ持ってらが?」
「いや、持ってねえ」
という、本当に小さな会話である。しかしそれを聞いていたときはおかしすぎて思考が停止した。あべまてれび、ってすごい言い方である。比較的若い人間にはスマホなしの生活が考えられない世の中であるが、こういう歳のひともスマホに興味があるんだなあ……と思うなどした。
若い人はみなスマホやタブレットをフル活用していて、ときどき例のすごく強い若者が自分の棋譜をスマホに保存して、その通り並べて支部長さんと検討したりしているし、わたしも家ではアプリで勉強している。もしかしたら、おじいさんたちはそういうのにも興味があるのではなかろうか。「必要最小限で済ませる」というのも将棋の考え方だが、「新しいテクノロジーをどんどん取り入れる」のも将棋の考え方だからだ。
冬になるとクリスマスだの正月だの、世の中がどんどん浮かれていくのに腹が立ったり、でもイルミネーションをきれいだなあと思ったり、余計なことを考えることが多い気がする。冬にはいろいろな感情が湧いて、いろいろな感情をかかえたまま降ってくる雪を見ている。それはわたしが冬に生まれた人間だからかもしれない。
なにを隠そうアラサー女はこれが掲載されるちょっと前の2019年12月20日にジャスト30歳になってしまったのである。あっという間に歳をとったなあ、とびっくりするばかりだ。
結婚については、前回で書いたように諦めているわけだし、友達がいなくてもそれなりに楽しく生きているし、なにも文句はないのだが、30になるというのはすごいことではなかろうか。「10年ひと昔」を3回も繰り返したことになるのである。3昔も前の時代に生まれたことになるのである。
当然、おじさんおじいさんたちはもっともっと長く生きてきたわけで、それは尊敬に値することだ。おじさんおじいさんたちはその長く生きる人生の友達として、将棋を選んで、向き合い続けてきた。支部長さんは若いころ、勤めていた職場の昼休みに、超早指しで職場の人と将棋を指していたらしい。支部長さんのフルネームを家で言ったところ、父が「同級生だ」と言っていたので、今は年齢的に定年退職して悠々自適をしながら将棋の勉強をしているのだろう。
「3月のライオン」にも、冬は雪で閉ざされる過疎の集落で、冬の遊びとして将棋を覚えた棋士、というキャラクターが出てくるが、冬というのは将棋にかぎらず勉強のはかどる季節だとわたしは思う。なんせ外に出ても雪雪雪で、そこかしこ真っ白でなにもできないのだから。
冬に暖房の効いた屋内にいるのは幸せである。外の雪をきれいだなーと見ていられるからだ。
将棋は冬でもできる。新しいソフトとかハードを買い替える必要もない。しかもいまだに、完全な攻略法は何一つ見つかっていない。それが、すばらしいのである。
イラスト:真藤ハル
Profile/金澤流都(かねざわるつ)
平成ヒトケタ生まれ。統合失調症を拾い高校を中退。その後ほんのちょっとアルバイトをしただけで、いまはライトノベル新人賞への投稿をしながら無職の暮らしをしている。両親と猫と暮らしている。
Twitter https://twitter.com/Ruth_Kanezawa