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アラサー女が将棋始めてみた 第12回

第12回 レベルアップの話

 今回は、六枚落ちから四枚落ちにレベルUPしたときのことなどについて書こうと思う。

 2018年の秋ごろ、いつも通り公民館に行くと市民茶会をやっていた。市民茶会というのは腰の曲がったおばあちゃんもしゃんと背筋の伸びるような、年に一度の大きなお茶会である。なので、その日は将棋のような勝負事とは無縁そうな和服姿の女の人がたくさんうろうろしていた。

 公民館には入ってすぐのところに、どの部屋でなにをしているか書くホワイトボードがあって、いつもの和室も市民茶会と書かれており、「あれ? きょう道場お休み?」と思ってよく見ると別の部屋でやっているようだった。

 部屋の場所が分かるように置いてある立て看板に、あまりうまくないけれど可愛い将棋の駒のイラストと「将棋道場はこちら」という矢印が描かれていて、みると将棋道場は音楽室に追いやられていた。

 入ってみると、支部長さんと幹事長さんが話をしていた。こんにちは、と挨拶してあの可愛い看板を描いたのはだれですか? と訊ねると、幹事長さんが描いたのだった。

「分かりやすいかと思って」と幹事長さんが照れていたのがおかしかった。

 さて、そのころすでにわたしは六枚落ちで指し始めてそろそろ一年、というところで、1筋突破定跡はばっちり脳みそにインプットされており、ハメ手を使われたときの対処もなんとなくながら理解していた。

 その日も支部長さんと六枚落ちで指し始めたのだが、支部長さんは梅干しを食べているような顔で「この手しかない……仕方がない……」と言いながら指されていて、わたしは駒損をしながらもギリギリのところで支部長さんを撃破した。

 指し始めたころは敵陣に成り込んでも成った駒をほったらかしにしてしまったりして、うまく活用できないでいたのだが、そのころはもう、と金がするすると動いて相手を追い詰める、ということができるようになっていた。

 支部長さんはそのするすると迫ると金を見て、
「前は作りっぱなしだったと金がここまで来てるでしょ。それだけで相当な上達だよ」と褒めてくださった。

 支部長さんは少し考えたあと、
「六枚落ちじゃ上手勝てませーんだぁ」とちょっとおどけてそう言われた。

 だがわたしは知っている。支部長さんは本気を出せばわたしなど六枚落ちでもひとひねりだということを。心の中でそう思ったが、しかしそれも支部長さんの思いやりなのだと思って黙っていた。

 とにかく六枚落ち卒業のお墨付きをいただき、じゃあ四枚落ちで指してみよう、と、もう一戦することになった。

 四枚落ちだと、上手の駒に桂馬が加わる。桂馬は1筋に効いているので、六枚落ちと同じ方法では1筋突破はできない。

 でもわたしの知っている戦法は六枚落ちの1筋突破定跡だけである。
「あの、悪あがきしていいですか?」と言うと、支部長さんはおかしそうに「いいよ」とおっしゃられた。なのでとにかく無理矢理1筋に突撃して、ボロボロ駒をとられつつも飛車を成り込んだ。

 その飛車も取られるわけだが、それでもなんとか悪あがきしようと支部長さんの銀を取ろうとしたら、

「そっちよりこっちの金取ったほうがお得だよ」と言われて、いや悪あがきにアドバイスしてどうするんだ……と思った。結局その勝負は飛車を取られてどんどん攻められあっという間に負けた。

 でも、久しぶりに大負けして、なんだか清々しかった。自分にいかに実力がないか、しみじみと感じて、もっと勉強に励もうと、小学生の作文みたいなことも考えた。

 さて、その次の週、公民館にいくと道場の場所はいつもの和室に戻っていて、そこには初めて会うおじさんがいた。

 優しそうで穏やかそうな印象のおじさんで、わたしが咳をしていると「大丈夫? 私の子供が昔喘息で……」と心配してくださった。大丈夫です、と答えてそのおじさんと指すことになった。

 支部長さんがこの間六枚落ちを卒業したのだと伝えると、
「じゃあ最終試験だ」と、そのおじさんは六枚落ちで指してくださった。
 ――優しそうで穏やかそう、と言っても、将棋は勝負事である。それに強い人間が穏やかなはずがないのであった。

 そのおじさんが、まあ容赦ないのである。優しそうで穏やかそうな顔とは裏腹に、まあ容赦ないのである。どんどん攻め込んできてどんどん駒を取っていくその様子はモンゴル人のヨーロッパ侵攻を思わせた。

 いつも通り1筋突破を狙っただけなのに、そんなに指していないうちに大駒は捕まるし、取られた桂馬を取り返そうと歩をついた瞬間、それで開いた道から成り込まれていた馬が脱走しておじさんの陣地に戻るし、あっという間にボロボロに叩きのめされてしまった。

 あまりにわたしの指した手と裏腹な結果が出るため、おかしくなって笑っていると、そのおじさんはほかのおじさんに「この人、手が読めると笑うんだよ」と冗談を言って面白がっていた。そんな「羽生先生は勝ちを確信すると手が震える」みたいに言わないでも、と思った。

 そのおじさんは、
「大駒だけで戦っちゃだめだよ。ちゃんと金銀桂香も活用しないと。定跡に頼りっぱなしじゃいけないってことだよ」と教えてくださった。

 教えてくださるときは見た目通り穏やかなのである。

 それから、
「駒落ちは上手と大駒の運用力が違うから、大駒を取らせちゃだめだよ。ここで歩を突かなかったら、少々損害を被っても角は取り戻せたと思うよ」ともおっしゃった。

 その一連の感想戦でいちばん納得したのが、
「ちゃんと上手がなにを指したか見ておかなきゃだめだよ。もしかしたら、よく見れば王手飛車のチャンスだってあるかもしれないよ?」ということだった。

 そう、わたしはびっくりするほど上手が何を指したのか見ていなかったのである。反省した。上手に飛車がいないから王手飛車のチャンスはないんじゃないかということはともかく、すごくすごく、反省したのであった。

 さて、その2018年の秋から一年経って、いまは四枚落ちを指している。支部長さんは「そろそろ四枚落ちも卒業かなあ」とおっしゃるが、しかしまたその「優しそうで穏やかそうなおじさん」と当たって、四枚落ちで指してギッタンギッタンにやられたのであった。
 
 優しそうで穏やかそうなおじさんは、わたしはまだそれほど使ったことのないチェスクロックを出してきた。NHK杯戦とかで見るアナログ式のやつではなく、デジタル時計で、テプラで「○○市公民館」と打ったラベルが貼られていて、商品名は「ザ名人戦」だったかそんな名前が青いボディに刻まれていた。そのチェスロックに持ち時間を十五分で設定して、指し始めた。

 が、まずはそのチェスクロックが怖いのである。どんどん持ち時間が削れていき、自動で秒読みをする。ちょっと考えている間に一分経っていたなんてざらである。おじさんのほうはどうすればいいか把握しているのでテキパキ指していくが、こっちはどうすればいいのかさっぱり分からないので、どんどん数字が減っていく。

 秒読みになってしまうと考える速度が追い付かず、
(そうだ……飛車。このまんまじゃ飛車が取られる。逃げなきゃ)
 と飛車を逃がしたところ、

「ここに逃げると飛車が捕まるんだなー」と、おじさんはぱちりと歩を進めた。その歩を取ると、歩と紐づけされた、つまり歩の位置に効いている駒で取られてしまうし、ほかの逃げ場所もない。

 おじさんは「まだなんの技もかけてないよ?」とおっしゃったが、もうどうにもならず、まさしく完敗なのであった。

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「あなたが失敗したのはね、王様の近くで開戦しちゃったことだなあ」

 と、そのおじさんは言った。つまり、自玉のすぐ近くの駒を進めて戦ったために、自玉のすぐ近くにいた金銀に狙いをつけられ、おじさんの駒はその金銀をとりながら前進して玉に迫ってきた……というわけである。

 やるべきだったのは、自玉から遠いところで開戦して、そこで大駒を活かしたり金銀を進めること、だったのだ。

 将棋の上手い人はおしなべて教えるのも上手い。というわけでたっぷり反省して、次に活かそうと、これまた小学生の作文みたいなことを考えた。

 支部長さんは「そろそろ四枚落ちも卒業かなあ」と言ってくださるが、自分にそんな実力がないことは痛感している。支部長さんだって本気を出せば六枚落ちのときと同様にわたしなんかひとひねりだと思う。
 
 二枚落ちになったらチェスクロックを使おう、という話もしているが、しかしそんなにぱっと考えられるようになるのだろうか、と支部長さんに訊ねたところ、「慣れだね」と言われてしまった。ぐうの音も出ないのであった。

 いまのところ目標は「アマ初段」であるが、まだまだ道のりは長そうである。本屋で見つけた将棋のアマ初段を目指す、という本には、「三手の読みの比較」ということができるようになってやっとたどり着く、とあった。つまり「こう指す→こう指してくる→こう指す」というのを何パターンか比較してみる、ということである。三手の読みの比較なんて盤を見てすぐできるんだろうか。一パターンをどうにかひねり出すのに必死なのに。

 でも、六枚落ちを卒業できたということは成長できるということである。三十前になっても成長できるということである。

 これからも努力を続けようと、こう書いてみて改めて思ったのであった。

イラスト:真藤ハル

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Profile/金澤流都(かねざわるつ)
平成ヒトケタ生まれ。統合失調症を拾い高校を中退。その後ほんのちょっとアルバイトをしただけで、いまはライトノベル新人賞への投稿をしながら無職の暮らしをしている。両親と猫と暮らしている。
Twitter https://twitter.com/Ruth_Kanezawa

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