アラサー女が将棋始めてみた 第16回
第16回 走りたくなる
今回は、公民館の道場の帰りに走りたくなることと、ほかにもスポーツやそれにまつわる将棋のことを書こうと思う。
漫画「三月のライオン」の主人公の高校生棋士、桐山零は、よく走る印象がある。対局相手があまりにも努力していなくてショックを受けたときとか、ご飯をご馳走してくれる三姉妹になにかあったときとか、そういうときに走っている。たぶん本編で走っているシーンを数えてもそんなにないのではないかとも思うのだが、それでも走るイメージがある。
この漫画は走るシーンが印象的だ、ということかもしれない。走ることで主人公のキャラクター性が見えてくる、というのもある気がする。彼は走って、叫んで、人と違う青春を生きている。
頭を思いきり使ったあとは走りたくなるというのは真理だと私は思う。わたしの、「下手の考え休むに似たり」の脳味噌でも、将棋道場の帰り道は走りたくなる。公民館までは徒歩五分くらいで、帰り道に長い直線で人のあまり通らない道路があって、そこをときどき、冬でなければわーっと走る。冬はつるつるのテカテカに凍ってしまって走ったら危ない。
わたしは小学生のころから体育が大嫌いで、運動会の時期になると学校の火事を期待するような子供だった。運動会の持久走で周回遅れにされて一番後ろを走っているのを「がんばれー」と言われて馬鹿にされていると思い「うるさい!」と怒鳴り返したくらい走るのが嫌いである。
周回遅れで走っているのを可哀想に思ったらしい先生に横を走られて死ぬほど恥ずかしかった記憶もある。
とにかく運動音痴なのである。二重跳びも倒立も逆上がりもクロールもできなかった。スポーツはなにをやってもズタボロで、しいて言えばスキーは人とあまり変わらないレベルでできたが、日ごろ運動音痴すぎて、スキー場でのスキー教室では毎年いちばん下手くそなクラスに入れられた。そのせいでせっかく目の前でリフトが動いているのにカニみたいに坂道を上って降りてくることしかできなかった年もある。
だからスポーツをやるよりはじっと考えているほうが好きだ。というか、スポーツが得意で好きなら、小さい頃からゲームボーイにかじりついて視力を悪くすることもなかったろうし、いまみたいに将棋を始めてみようと思うこともなかった気がする。
プロ棋士の将棋は脳がブドウ糖を大量消費して、一日まるごと対局していると体重が二キロ減る、という話を聞いたことがあるから、将棋も極めれば実質スポーツなのでは、と思う。だが、わたしのようなヘボ将棋では当然痩せないし、逆に持ちこんだ飲み物で体重が増える。
将棋は今流行りのeスポーツよりよっぽどスポーツっぽいと思うのだが、世の認識は「ゲーム」のようだ。
将棋は檻に入れられた人間の殴り合いだ、という言葉をなにかで聞いた覚えがある。
実際に相手を殴るわけではない。盤の上にある駒を動かすだけだ。
檻から出ているのは手だけで、その手は盤にしか届かない。だから盤の上で殴り合いをしている、ということになるのだろう。
もっとも「殴り合い」というレベルになるのは、プロ棋士やトップアマの話だろう。わたしの場合「つつき合い」といった感じである。
いきなり大駒をとられ自陣に打ち込まれ、あわあわしていると横から「まだ詰まないから安心して攻めていいよ」と説明されたりする程度の将棋しかできない。
それでも指し終えたあとは頭の中が変に明瞭で、体が動きたがるのが分かる。
脳味噌を働かせたあと体を動かしたくなることについて明確な理由は聞いたことがないが、体と頭のバランスを取りたい、ということなのだと思う。運動音痴なので帰り道にまったく様になっていないドタバタ走りで帰ってくるだけなのだが、家に帰って“ぜえはあ”するのはしんどいけれど気持ちがいい。帰ってからはノートを作って昼寝する。
ふだん、頭ばっかり疲れている時に休もうとしてもなかなか休まらないのは、体もくたびれていなければ休まらないということではないだろうか。
こうやって一日パソコンに向かってエッセイや小説を書く日々なので頭ばっかり疲れる。だから体も疲れさせようとドラゴンクエストウォークを始めたものの、結局ログインボーナスをもらうだけのゲームになりつつある。歩く目的があるのは楽しいが、やっぱり戦いがコンピュータの乱数で決まってしまうのはつまらない。
走る、といえば、藤井聡太先生は東京オリンピックの聖火リレーを走るのだという。ほかにも、トップオブトップの棋士の先生たちも走られるようだ。藤井聡太先生について、デビュー当初異星人のような強さゆえ「頭でっかち体質でスポーツとか苦手そうだな」と思っていたが、意外とスポーツも得意なのだという。そういえば藤井聡太先生は卓球の張本智和選手と仲がいいという話も聞いたことがある。体と頭を両立しているということだろう。
オリンピックがこの国で行われるというのはすごいことだが、問題がボロボロ発生しているのはどうにかならないのだろうか。オープンウォーター競技の会場の水が汚いとか、札幌でマラソンをすることになったものの札幌も夏は暑いとか、そういうのも解決しなくてはならない問題だし、朝顔をスタジアムに置いて涼しさを演出しようというのは、なんというか竹槍で戦闘機を落とそう、みたいな発想だと思う。
竹槍で戦闘機を落とす、で思い出したのは、この間高校生の男の子と平手で指していたとき、こっちがもたもたしているうちにいきなり角に成り込まれて、駒をボロボロ取られてこのままでは詰んでしまうからなにかで受けようと考えていると、横から支部長さんに
「これは『耐えがたきを耐え忍びがたきを忍び』だなあ」
と言われて、
「玉音放送流れてたらすでに負けてるじゃないですかあ!」
とツッコんだことである。支部長さんは60代で、玉音放送を聞いた世代ではないので、なんでここで終戦の玉音放送が出てきたのか疑問である。もしかしたら将棋好きのおじさんたちはよく使うセリフなのだろうか。しかしこれを聞いたのはそのときが初めてだった。なんでだろう。
結局、そのときはいさぎよく「負けました」と頭を下げたのであった。
竹槍で戦闘機を落とす、から随分と盛大に脱線したが、なんだかんだオリンピックは楽しみである。藤井聡太先生が聖火のトーチをもって走っている様子はテレビに映るのだろうか。
加藤一二三先生がオリンピックの観戦チケットをゲットしたというのも噂に聞いた。スタジアムの映像にちらっと映りこんだりはしないかとワクワクしている。
ふと、囲碁は韓国や中国にも棋士がいるが、将棋は日本のオリジナル競技だなあ、などと思った。カロリーナ・ステチェンスカ女流のように海外で将棋を学んで日本にやってくる人が増えたら面白いのにな、と思ったりもする。漢字圏の外用に、麻雀の数字の牌にアラビア数字を振ってあるのを見たことがあるが、そんな感じで将棋もグローバル化できないだろうか。聞いた話ではネット対局ではちらほら外国の人もいるそうなのだが、それでも将棋は世界中のだれでも知っている競技、とは言えないと思う。
世界中の人が将棋を指して、「おじいちゃんの趣味」でなくなる日がきたらいいなあ、と思う。藤井聡太先生をはじめ若手棋士が活躍して、将棋は子供や若者も遊ぶものになったけれど、それでも「おじいちゃんの趣味」のイメージは抜け切れていない気がする。ここにこうやって、アラサーで将棋を始めた女がいるというのに、知らない人からしたらわたしが将棋を勉強しているのはヘンテコに見えるらしいのだ。
将棋は年齢にかかわりのない競技であるとずっと何度も書いているし、もちろん性別だって関係ないはずだ。それでもわたしが将棋を勉強していることを知った知り合いたちは事あるごとに「将棋やってる?」などと訊いてきた。そういう人は将棋フォーカスで『乃木坂46』の向井葉月ちゃんがせっせと勉強しているのを見るべきだと思う。
将棋がすべての人に開かれた競技であることは、わたしが2017年の秋に公民館を訪れたときに感じたことだ。もっとメジャーな「頭のスポーツ」になればいいな、と、今日もそんなことを考えながら、走って帰るのであった。
イラスト:真藤ハル
Profile/金澤流都(かねざわるつ)
平成ヒトケタ生まれ。統合失調症を拾い高校を中退。その後ほんのちょっとアルバイトをしただけで、いまはライトノベル新人賞への投稿をしながら無職の暮らしをしている。両親と猫と暮らしている。
Twitter https://twitter.com/Ruth_Kanezawa