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アラサー女が将棋始めてみた 第18回

第18回 これを書き始めて変わったこと

 今回は、このエッセイを連載して変わったことを書いてみようと思う。

 わたしはいわゆる「子供部屋おばさん」である。すごく嫌な言い方だが、まぎれもない子供部屋おばさんである。高校生のときに病気を拾ったのをきっかけに、ずっと家にいる人になってしまった。

 基本的な暮らしは、公募用の小説を書き、昼寝し、食事し、というようなものだった。それ自体はいまと何ら変わらないのだが、これを書き始めて大きく変わったことがいくつかある。

 まず一つ目が、自力で収入を得たことだ。

 これはすごいことだ。もちろん家族三人猫一匹食べていけるような大きいものではない。でも自分で自分のために使うくらいのお金を、稼げるようになったのである。

 ちょっとずつ貯金して、ニンテンドースイッチライトが買えるくらいまでお金を貯めた。スイッチでどうぶつの森が出ると聞いてから、なんとかしてスイッチを手に入れたいけど、きっと無理なんだろうなあとばかり思っていたので、いまからニンテンドースイッチライトとソフトを買うのが楽しみである。

 ちなみに加藤一二三先生の出されたスイッチソフト「ひふみんの将棋道場」とか、三月に発売される藤井聡太先生の監修された将棋の勉強ができるスイッチソフトにもとても興味があるが、現状そうホイホイ買えない。スイッチのソフトがゲームボーイのソフトみたいに一本3000円なら買うのだが。いまどきのゲーム好きキッズの親御さんは出費がすごくて大変だなあと思う。

 原稿料が振り込まれる日も「うぇ~い」というテンションで嬉しいのだが、もっと嬉しいのは原稿料の明細が届いた時だ。ああ来月も原稿料が振り込まれる、そう思うだけで買い物大好き人間のわたしはうれしくなる。

 二つ目に、将棋に対する取り組み方が変わった。まずなにか面白いもの、面白いことをやっている人はいないかと、そこに注目するようになった。

 帰ってきてノートを作るときも、まず「きょうの面白かったこと」をメモする。特に、おじさんたちの行動を注目してみるようになった。面白い発言があれば拾って覚えておくようになった。

 もちろん将棋の勉強も怠らず頑張っている……つもりなのだが、どうしても勉強するより文章を書くほうが楽しいので、詰将棋の本や手筋の本で勉強するのはお風呂を沸かしている間脱衣所で、という感じになってしまう。スマホアプリのぴよ将棋は勝っても「後手 負けました」としか出ないので大変さみしい。かと言って人間相手に通信対戦する度胸はぜんぜんない。

 公民館の道場で小学生のすごく強い男の子と若者が、どの通信対戦アプリがいいとかそういう話をよくしているが、そういうふうに勝つことに貪欲だから強くなるのだろうな、と思う。

 三つ目は、編集者さんについてもらって書くことで、良い文章の書き方を学んだ。

 いままで、ただ漠然と「こんな感じでいいのかな」と書いていた文章が、編集者さんの力により、どこをどう直せばいいのか教えてもらえるようになって、いままでより格段にパワーアップした気がする。

 そして編集者さんという人種はすごいなあと、修正箇所を指摘していただくたびに思う。「ここはどういうふうに思ったのか書くといいです」というアドバイス、「こういうふうに強調すると面白くなります」という指摘、どれも的を射ていて「す、すんげえ~!」となってしまった。自分ひとりで書いていたらぜったいに気付かないことを教えてくださる、編集者さんという人種に文章の書き方を指導してもらえるのはとてもよい経験になった。

 また編集者さんとのやりとりで、ビジネスメールの打ち方も覚えた。いままでビジネスでメールを打ったことなど一度もない人生を生きてきたので、そういうことを覚えられたこのチャンスは素晴らしかったのだな、と思う。

 驚いたのは、編集者さんがズバリわたしの好みの小説を勧めてくださることだった。荻原浩の小説を何冊か勧めていただいて、どれもすごく面白く読んだ。わたしの文章はレトリックが死んでいるので、荻原浩の小説のように多彩なレトリックを使うために勧めてくださったのだろう。結局「やべー! おもしれー!」だけで読んでしまってレトリックは死にっぱなしなのだが。

 メールの要件合間の無駄話も楽しかった。ライトノベルの新人賞の一次通過を祝ってもらったり、銀行の口座を連絡したときはズバリ地元の有名なお祭りの名前が出てきてびっくりした。

 周りの人からの反応も変わった。

 初めて将棋エッセイの掲載をツイッターにシェアしたとき、アマチュア時代からツイッター上で親しくしている某児童文学作家の先生に、「事実上のデビューじゃん」と言われて嬉しかったし、フェイスブックにシェアしたら中学時代の数学の先生が読んでくださった。

 しかしリアルの知り合いに「KKベストセラーズっていう出版社のnote」と説明すると、だいたい「カッパブックス?」と言われたのはなぜだろう。KKベストセラーズはワニの本である。

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 加藤一二三先生にツイッターでフォローされたのもびっくりした。なんと加藤一二三先生と相互フォローである。それにつられてなのか知らないが、続々と将棋関係の人にフォローされて、「いやこれただのラノベ投稿勢アカウントだし……」となった。将棋に関係のあることなんてほぼほぼツイートしていないのだが。

 なにより、いちばんの意識改革になったのは、「どんなくだらないものでもカクヨムにUPしてみよう」ということである。

 このエッセイの最初の何回かはカクヨムにUPされたものを手直ししたものだ。このエッセイはカクヨムでそこそこ頑張ってランキングにしがみついたエッセイである。たぶん、「アラサー女が将棋始めてみた」というタイトルがよかったのだと思う。

 それを、編集者さんに見出していただいて、このように商業的に連載するところまでこぎつけた。最初に編集者さんからツイッター経由で連絡をいただいた時、口から心臓を吐きそうになった。

 話題を元に戻せば、どんなものでもカクヨムに投稿してみる価値はあるのではないか? と、そう思うようになったのである。

 公募用の小説とは別に、エッセイや、以前公募に突っ込んで落選した作品を手直ししたものや、公募に突っ込むには短い話を、カクヨムにまめにUPするようにしたのだ。

 ただこれには難点があって、カクヨムでは読んでもらった数が確実に分かるので、数字を伸ばしたくて公募用の小説がお留守になりがちなのがよろしくないのである。カクヨム用の作品を書きたい、でも公募用の小説を書くほうが書籍化には近そうだしグギギ、となる。

 カクヨムから見出してもらって世に出る作品がたくさんあるのは確かだ。しかし、どう考えても公募用の小説を軸にしたほうがいい。目標が書籍化ならなおさらである。

 とにかく、この「エッセイを連載して原稿料をいただく」というのは、とても面白い体験だったし、これならただの子供部屋おばさんでなく「駆け出しのライター」くらいのことなら名乗っていいのではあるまいか。

 先日、今年のお盆に同窓会があると同級生から連絡がきた。友達のいないわたしなんかが行っていいのか悩んだし、きっとみんな母親になったり父親になったりしていて、劣等感に苛まれるだけではあるまいか、と思ったのだが、「仕事なにやってんの?」と聞かれて「フリーのライターやってる」と答えることができると思えば、行ってみてもいいかもしれない、と思えた。たとえ後続の仕事がなくても、エッセイでお金をいただいていたことは本当なのである。

 わたしにとって「エッセイを連載して原稿料をいただく」ということは、生まれて初めて自分のやりたいことでお金をいただくということだった。もとをたどればわたしの文筆家志望のきっかけは、さくらももこのエッセイを小学六年生のころ読んだことである。文筆業を志して最初のころは小説家でなくエッセイストになりたいと思っていた。だからそれが一番嬉しい。

イラスト:真藤ハル

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Profile/金澤流都(かねざわるつ)
平成ヒトケタ生まれ。統合失調症を拾い高校を中退。その後ほんのちょっとアルバイトをしただけで、いまはライトノベル新人賞への投稿をしながら無職の暮らしをしている。両親と猫と暮らしている。
Twitter https://twitter.com/Ruth_Kanezawa

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