アラサー女が将棋始めてみた 第17回
第17回 もぐもぐタイム
第1回で書いた通り、わたしは加藤一二三先生、俗っぽく言うなら「ひふみん」を見て将棋を始めた。あの有名な藤井聡太先生のデビュー戦で、加藤一二三先生はカマンベールチーズを取り出しむしゃむしゃ食べていた。それはとても衝撃的な絵面だった。
プロ棋士の先生たちは脳味噌をフル回転させて対局している。だから当然疲れるわけで、栄養補給は大事だが、いやしかしなぜチーズのタンパク質? と思ってしまった。クエン酸や糖分ならまだ分かるが、なぜタンパク質だったのだろうか。
そこから加藤一二三先生の人柄に興味をもち、いろいろと調べてみると、加藤一二三先生は“板チョコレートを重ねて齧った”という伝説を持っていると知った。チョコレートを重ねて齧るって、いったいどれだけ脳が糖分を欲していたのか。
さすがに公民館の将棋道場では、日曜の午後にアマチュアがのんびり楽しんでいるだけなので、チョコレートを重ねて齧るような人はいないが、それでも飲み物のチョイスには性格が出て面白い。
支部長さんはたいていスポーツドリンクを飲んでいるし、例のアマ四段の若者はリアルゴールドをよく飲んでいる。高校生の男の子はお茶やフルーツティーの類を飲んでいることが多い。幹事長さんは飲み物ではなくフリスクとかミンティアをばりばり食べている。ほかには缶コーヒーや、紙コップタイプの自販機コーヒーを飲んでいるひとも多い。家からペットボトルにお茶をつめて持ってくる人もいる。
しかし公民館にある自販機は、よそにあるものと比べて飲み物が高額な気がする。もしかしたら気のせいかもしれないが、しかしわたしはケチなので自販機を見て「うわ高い」と思った記憶がある。
わたしはドケチなので、自販機やコンビニで130円で売られているものよりも、スーパーで一本68円の飲み物を選ぶ。差にして62円。およそ倍だ。
買い忘れたりしてどうしても自販機を使うときは、道中のCoke ONが使えるコカ・コーラの自販機で買うようにしている。悪あがきだと自分でも思う。
飲み物に関してはざっとこんなところなのだが、食べ物についても面白い体験をしているので、それも書いてみようと思う。
ある日いつも通り駒落ちで将棋を指して教えてもらって楽しんでいると、第6回に書いた勝利者賞のおじさんが、唐突に『花畑牧場の生キャラメル』を配り始めた。どうやら子供将棋大会かなにかの参加賞の余りらしく、ありがたくいただいた。
勝利者賞のおじさんは支部の仕事をいろいろとやっているらしく、これまでも梅グミだの乳酸菌タブレットだの、そういうものを「はい、勝利者賞!」と渡してきたわけだが、なぜ花畑牧場の生キャラメルというお取り寄せグルメみたいなものが将棋大会の景品として公民館にストックされていたのか。はなはだ疑問である。
花畑牧場の生キャラメルと一緒に動物のぬいぐるみキーホルダーもたくさん出してきて、勝利者賞のおじさんは「女の人はカバンにこういうのつけるでしょー」と配ろうとしてきたのだが、「いえもうすぐ三十なんで遠慮します」といったら小学生に付き添ってきていた親御さんが「えっ私つけてる」と言いだして微妙な空気になってしまったのも書いておく。
それから、「超甘党のおじさん」というのも存在した。
ある日いつも通り道場にいくと、あぶれていたおじさんに声をかけていただいたのだが、それが超甘党のおじさんだった。駒落ちは自信がないから平手で、と言われ、ドキドキしながら指していると、おじさんはおもむろにコンビニ袋をひろげて、コンビニで売っている「プリン・ア・ラ・モード」を取り出し、プラスチックの小さなスプーンでムシャムシャやりはじめたのである。
これは衝撃的だった。わたしの身の周りに、甘いものを喜んで食べる男の人は一人もいない。父も酒飲みだし、亡くなった祖父も晩酌を欠かさない人だった。同級生と飲んだことはほとんどないから分からないが、とにかく甘いものをおいしそうに食べる男の人を見るのは、初めてだったのである
はっきりとは覚えていないが、そのコンビニ袋にはシュークリームも入っていた気がする。甘党すぎる。超甘党のおじさんは道場にくる道中、コンビニに寄ってスイーツを選んだのだろうか。想像するとなんとなく面白い。
ちなみに超甘党のおじさんとの対局は、わたしが具合を悪くしてしまい、途中で勝負を放棄して帰ることになってしまった。残念なことである。
ほかにも“将棋と食べ物”、と言われれて思い浮かぶのが漫画『3月のライオン』である。ただの青春将棋漫画ではなく、おいしそうな食べ物が続々と出てくるものすごい漫画である。主人公・桐山零がよくお世話になっている川本家の長女、あかりさんの作る料理はどれもおいしそうで、2019年の12月に出た「15巻」ではものすごくおいしそうなポテトサラダを作っていた。こんな贅沢なポテトサラダを現実で作るのは不可能だ。
『3月のライオン』15巻より
(c)羽海野チカ/白泉社・ヤングアニマル
『3月のライオン』には、そのほかにも「全部乗せのあんみつ」とか、「甘やかしうどん」とか、おいしそうすぎるものが続々出てきて、コラボカフェとか行きたかったなあ……と、しみじみ思う。なんで漫画やアニメのコラボカフェって都会でしか開催されないんだべ……と、田舎者の悲しさをかみしめつつ、いつかカレーにから揚げと温玉をのせて食べたいというちっちゃな野望を掲げるのであった。
将棋と食べ物については、藤井聡太先生のエピソードも印象的だ。
藤井先生といえば29連勝のとき、お昼の出前に取材が群がり、頼んだお昼ご飯の内容がテレビで大々的に報道されたのが有名だ。しばらくしてNHK杯戦に初めて藤井聡太先生が出た時も、ツイッターのNHK広報局のアカウントに、「お昼の出前とか中継されるのかなあ」と心配されていたし、天才というのはこんな日常の一挙手一投足に至るまで注目されてしまうのかと思ったものだ。わたしがあの身分だったら「ほっといてくれ!」と大きな声で叫んだと思う。
とはいえ妙に安心したのは、中学生当時の藤井聡太先生の財布が開けるたんびにバリバリいうマジックテープのやつだったことである。そこは中学生なのかと思ったし、ニコニコ動画のコメント弾幕は「バリバリ最強」と昔のアニメソングのフレーズが飛び交ったらしい。まさに最強である。なんでこうやって最適なシチュエーションで最適なアニソンのフレーズが出てくるのか、ニコ動将棋勢のアニメ的ボキャブラリーのすごさに驚くしかない。
アベマTVの解説に出ていた先生(お名前は失念してしまった)が、「藤井聡太先生はラーメンのシナチクが苦手で、師匠の杉本先生とラーメンを食べに行くとシナチクとチャーシューを交換してもらっている」という話題を聞き手の女流棋士に振られて、「シナチクとチャーシューの交換は駒損ですよ!」と言っていたのもおかしかった。いやシナチクもチャーシューも駒じゃない。なんでも将棋に置き換えてしまうのはこの人たちの習性なのだろうか。
佐藤天彦先生も、おしゃれな高級ブランドの衣服を着こなし、クラシック音楽を愛するところから「貴族」というあだ名をつけられているのだが、プライベートでタコ焼きを焼いている動画を母が見つけてきた。貴族がタコ焼きを焼いていいのだろうか。それともタコがものすごいブランドのタコなのかもしれない、と、そういうことをつい考えてしまう。でも普通においしそうだった。
タイトル戦の食事も、見ていてきらびやかで、おもわず「おおー」と声が出るようなものを食べていて、とても面白い。ご当地の高級食材をこれでもかとふんだんに使った料理が続々出てくるさまは、かつての「どっちの料理ショー」を思わせる。ツイッターにタイトル戦の食事やおやつが出てくるたび、「うわ、うまそー」と思うのだが、当人はそれどころでないと思われる。わたしたちはのんきにそれを「うまそー」と思えるのだから、棋士の先生本人よりいい身分なのかもしれない。
いったいどんな心境でタイトル戦を戦っているのか、ふつうの人間であるわたしには想像することしかできないが、おいしさでリフレッシュするのか、あるいは味なんて分からないのか、そのどちらかのような気がする。
そういう高みから見た世界とは、どのようなものなのだろうか。
書いていたらお腹が減ってきてしまった。
ちなみにわたしのお昼はだいたい「インスタントラーメン、菓子パン、うどん、そば、パスタ、スーパーの値引きシールつきの弁当」のうちいずれか、である。もっと、おいしいものが食べたい。
イラスト:真藤ハル
Profile/金澤流都(かねざわるつ)
平成ヒトケタ生まれ。統合失調症を拾い高校を中退。その後ほんのちょっとアルバイトをしただけで、いまはライトノベル新人賞への投稿をしながら無職の暮らしをしている。両親と猫と暮らしている。
Twitter https://twitter.com/Ruth_Kanezawa